いつもお世話になっています。以前、本や聞いた事があるのですがお釈迦様は弟子に死後の世界を説かなかったと聞きましたが本当でしょうか?死後の世界かあるのかという弟子の質問に対して、矢か刺さればまず抜く事だ!だから死後の事など考えず、今ある生を精一杯生きなさいと言ったような気がします。本当にお釈迦様は死後の世界は説かなかったのでしょうか?ある人の本によると仏教は哲学に近く、また無神論に近く、中世ヨーロッパでは無を広める宗教だと恐れられたそうですがその事についてはどう思いますでしょうか?お考えを聞かせてください。
長く住んでいる実家の近くにお寺と墓地があり、散歩の途中でその前を通りました。 そこには6名のお地蔵様が並んでおりお地蔵様は六道輪廻を救済してくださると説明が書いてあったので、感謝の気持ちと悩んでいたことがあったのでこれから頑張りたいですということを合掌してお伝えしました。 ですがお墓の近くにあるお地蔵様には手を合わせない方がよいなどの記事もあり、迷信だと書いてあるものもあり実際はどうなのだろうと思いました。 私はお地蔵様に失礼なことをしてしまったのでしょうか? 知識不足で申し訳ないのですがお答えいただけると幸いです。
私は4歳のときに父を亡くしています。私の実家は浄土真宗大谷派を信じています。 今夫婦で住んでいる家には小さい遺影写真があり、飾ってあります。遺影が置いてあるだけなので、位牌などはなく、お仏壇もありません。 父を想っている気持ちが伝わればいいなと思い、浄土真宗大谷派の読経をしたいんですが(読経をすると気持ちがスッキリする感じがするという理由もあるのですが)、お仏壇や位牌がない場所の遺影の前で読経はやっていいのでしょうか? ちなみに読むお経は正信偈なのですが、ほかにも読むといいお経はありますか?
仏教にとって、急速に進む少子化は悪なのでしょうか? 仏教に「産めよ増やせよ」の概念は基本的になく、悟りによるこの世からの卒業を目指す宗教だと思います。 そもそも社会から隔絶して悟りを目指す 集団が仏教のオリジンでもあり、その後世俗化やらが進んでからも、浄土真宗以外の僧侶は独身が基本という建前(崩壊してますが)もあるはずです。 如来や菩薩がこの世に戻ってくるのも、まだ救うべき衆生(一般ピーポー)が残っているからという理屈ですよね?救出すべき対象がいなくなれば、救急隊員は現場から引き揚げるし、それを心から望んでいるはずだす。 このあたりの矛盾に真摯に答えている回答がネット上に見つかりませんでした。いかに寺の収入を維持するか?しか頭にない方が大半に見えます。 人々のために寺があるのか?寺のために人々が利用されてるのか?どちらなのでしょうか? このままなら確実に日本人口は縮小するし、外国人が増えて仏教自体も駆逐される可能性が高いです。 こうした状況を踏まえ、仏教が本来取るべきスタンスはどんなものか?ぜひお教えください。 個人的には、少子化は必然として放置で良く、国と同じように宗教組織もダウンサイジングすれば良いと思っています。仏教はそれに抵抗すべきではない、という考えです。 ごまかしのない回答には御礼をお支払いします。
人名に使えそうな素敵な仏教用語や単語、漢字はありますか?教えてください。
私の祖父母が85〜90歳でまだ元気に生きていて、この2人は60年以上日蓮宗を信じています。 ただ、歳のわりには歩けるんですが、足腰が弱く長い距離や階段はもう無理そうです。 私の母が祖父母の身の回りのことを少し手伝って介護してる話を聞くと、私も何かやれることないかなと思うんです。自分の病気等で祖父母にはあまり会いにいけないので、日蓮宗だけの御首題帳を集めていこうと思ったのです。いつか来る祖父母のお葬式で本当にお世話になった2人を守ってもらいたくて…。 日蓮宗の御首題帳を2冊買ったところで、「そういえば代理参拝や代わりに御朱印をもらって、お葬式のときに副葬品として入れていいのだろうか?」と我にかえって不安になってしまいました。 祖父母を守ってもらいたい、長年信じている日蓮宗の護符を持っていって上に上がってもらいたい、こんな状態の私ができる今精一杯のことをしてあげたい、そんな気持ちなんです。 そこで、代理参拝や自分の身内の代わりに御首題帳をいただくことはどうなのでしょうか?ご意見お願いいたします。
最近高野山真言宗に興味を持ち、護摩に参加したり、いただいた護摩札に真言やお経をお唱えしたりしています。 本格的に真言宗の信徒になりたいと思っています。 実家には檀家などはなく、そもそも無宗教です。 受戒・結縁灌頂、得度、何かしらの団体に加入するなど様々あると思いますが何から始めれば良いのでしょうか? 都内在住なのですがどこのお寺が良いのかも分かっていません。 また、仏壇等も購入したほうが良いのでしょうか?(家族になくなった人はいません) もし購入したほうが良い場合、真言宗専用の仏具などあるのでしょうか?
浄土真宗の門徒です(大谷派)。菩提寺のご住職が法要で「人は死んでから7日毎に生を受ける」「早ければ二七日、遅くとも四十九日には次の生を受ける」「そして浄土にお進みになる」と仰っていました。(きちんと理解できていないので厳密には違うかもしれませんが…) 少しかじった程度の自分の記憶では人は亡くなったらその場で成仏する(浄土にお生まれになる)、浄土真宗において霊魂の概念はない(なのでお盆には帰ってこずお盆はお救いくださる阿弥陀様に感謝をする日)、なので生まれ変わりもないと思っていましたが、聞いた感じだと自分の認識が違うようです。浄土真宗においての生まれ変わり、もしくは死後はどう考えられているのでしょうか。ご教授いただきたくよろしくお願いいたします。
あるご真言を本で読んで知り、一定の回数をお唱えすると良いと書いてあり、印も載っておりました。 印を組みながらお唱えすると良いと書かれていたのですが、回数を数える際はお念珠を使用するとも書かれていたのですが、お念珠を使用すると印が組めません。 印とお念珠のどちらを優先すればよろしいでしょうか?
今就活を全力でしているのですが、なかなか結果がでません。 いつか良いところに就職できると思って、前向きに何度も立ち上がって取り組んでいます。 ですが、結果を待って、何度もお参りして、落ちることを繰り返したため、自分の実力が足りないだけであるのに、仏様に見放されてしまったかと、罰当たりなことを考えてしまうようになりました。 就活で、未来がわからず、暗闇をさまよい歩いているような今、仏教では、どのように考えて乗り越えるか、教えていただきたいです。
私は今、独学で仏教の勉強をしています。 仏教を深く知るにはまず、仏教の教えの内容含め、その思想が生まれた背景と、変遷を知るのが良いだろうと考え、現在私は仏教史を勉強しています。 そして今現在、仏教が生まれた古代インドの世界の理解に非常に難航しています。 インド哲学に馴染みがなかったのに加えて、大量のカタカナと抽象的な語句が大量に出てくるので、混乱してしまっているのです。 古代インド世界とインド哲学を知れば、釈迦がどのような状況で、どのような経緯と意図で教えを説いたのか、正確に知ることができると考えたのですが、もう既にリタイアしそうです。 お坊様方は皆どのように勉強なさったのでしょうか。 仏教を理解するには、どのように勉強すれば良いでしょうか。 ちなみに、勉強で用いている本は「新アジア仏教史」です。 そして、今現在の私の仏教の知識の度合いは、大まかな基礎を知っている程度です。 よろしくお願いいたします。
こんにちは。 仏教に関してちょっとした疑問があります。 お寺さんや宗派によって決まり?ルール?教義が違うと思いますが、教えてもらえたらありがたいです。 1. 食事と不殺生 お寺では建前上、肉魚を食べない精進料理だと思いますが、食と不殺生を考えた場合、下記の場合はどう考えるべきなのか教えていただけたら幸いです。 頂いたものや出されたものとしての肉魚に関しては美味しく頂くのは分かるのですが、不殺生を考えると生きてる牛や鶏、魚などを絞めて食べるのはNG? 魚釣りで釣れた魚を食すのも不殺生に引っかかるからNG? 生きてる生き物を絞めるのはダメだけど、誰かに絞めてもらったものや店で売ってるものを食べるのはOK? 2. 各宗派の大まかな教義はネットや本で調べたら分かりますが、一歩踏み込んだ部分を学びたいと思った時、どういう方法を取るのが一番良いのでしょうか? よろしくお願いいたします。
お釈迦様が亡くなられたとき、四方に2本ずつ沙羅樹のある場所に北に頭を向けて横たわっておられたと聞きました。 一本ずつ枯れて、残った一本が満開となり、東西と南北で二本がひとつになり、双樹となった。この意味を教えてください。
救われる道を探して仏教を学んでみたもののやはり合点がいきません。 具体例 これまでお釈迦様しか成し遂げられていないらしい解脱を一般人が目指しても無理だろうに解脱を掲げるのは合点がいきません。方便でしょうか? 中道が大事と言っているのにこの世に楽はない一切皆苦と極端に偏ったことを言われます。 仏教に救いの道はあると思えず何を頼りにしたらよいか途方に暮れています。
いつも有難うございます。最近 家族の病気で心が疲弊しており ここでご相談させて戴いた事を実践しつつ なんとか精神的に立ち直ろうとしています。物理的にには出来ることを全て行い あとはご神仏にお頼りするしかない状況です。 ある本で感謝は幸運を呼び 嘆きは不幸を呼び込む…とありました。もちろん趣旨は 要は心の持ちようという事だと思います。 又ご神仏には 素直な自分でお参りを…と言われたら 今は嘆きばかりになります。 ご神仏にお祈りする際 悲しみや嘆きをお話してお祈り してもいいのでしょうか?
いつもお世話になっております。 15年間信仰していて、未だにわからないことがあります。 非常に初歩的な事です。 なぜ不動明王は怒っているのか? 仏教は怒りを悪い感情と捉える→わかる 優しいだけじゃ通じない相手に、不動明王はあえて 怒りをもって接する→? 怒りは罪深い感情であるはずなのに、なぜ明王は 怒っているのでしょうか? よく、 「我々が迷いの中にいるとき、我々が間違えた方向に 向かいそうなとき、怒りの形相の不動明王が、左手に 持った羂索で我々をからめ取り、引き戻してくれる。 引き戻してくれた後は、右手の剣で迷いを断ち切り、 背中の炎で焼き清めてくれる」 と説明されます。 迷いはなんとなくわかる。でも、悪い事って? (人を害する気持ちで何かすること?) (十善戒をやぶること?) 私たちの怒りと不動明王の怒りって、 何が違うの?積年の疑問です。
最近仏教、というより職業としてのお坊さん(職業と言ったらなんだか失礼な気がします。ごめんなさい。)に興味を持ちました。 実家には月参りにお坊さんが来てくれてはいたのですが、熱心な檀家というわけではないのでお寺に行くことは一切ない家庭でした。 私自身もお寺と特に接点はなくお坊さんとお話する機会もありません。 ふと疑問に思ったのですが戒名をつける際はどうやってつけているのですか? 故人と面識がない場合、遺族に趣味や職業をきいてつけてくださることもあるようですが、無趣味で一般的なサラリーマン…など特徴がない場合どうしているのでしょうか? また、「山田太郎」のようによくある戒名で他とかぶるというのはあることですか?
小学3年生の頃に道に落ちていたお守りをわざと側溝に落としてしまいました。 まだ小さく物事の良し悪しがわかっていなかったとはいえ許されないことをしてしまったと後悔し、深く反省しています。 やはり死後私は地獄に落ちてしまうのでしょうか...? また、「善行は罪を浄化する」と言いますが前述したような罪も善行により浄化できるのでしょうか? 回答よろしくお願いします。
亡くなった夫は次男で、夫の実家は浄土真宗です。 夫の実家は飛行機で行く程の遠距離です。 夫の生前中、一緒に高野山へ行き 感動して、私達は真言宗になりましょうと2人で決めておりました。 なので、夫が亡くなった際の戒名もお経も真言宗です。 その事を友人に話したら、次男であろうと夫の実家の宗派と同じにするんだよと言われました。 最近、仏壇を購入しました。 仏壇内には真言宗の掛け軸も揃えたので、後は魂入れをしてもらうだけです。 当然、真言宗のお坊さんに魂入れをお願いしようと思っています。 夫の実家の宗派とは違う宗派って駄目なんでしょうか? ちなみに、私の実家の宗派は真言宗です。
病気平癒、健康長寿、無病息災などを願って薬師経を薬師如来様の仏像の前で読誦しています。ただ、長いので重要な部分のみを読誦したいのですがどの部分を読誦すればよいでしょうか? それとも分割して読誦していったほうが良いのでしょうか?