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「仏教」を含む問答(Q&A)一覧

2025/12/24回答受付中

仏教の触れ方

仏教との触れ方について相談です。注•長文、これより先は大正大に行きそびれた一在家の偏見、僻みによるものです。  以前念仏と密教について相談させて頂きましたが、その後その道にいけないことが現実的となり正直ヤケ気味でどうせ在家には密門はできないのだから、やれる所まで、難しい陀羅尼を唱えたり新義だの融通念仏だの華厳天台だの勉強しよう、はたまた徹底的にご利益信仰をしてやろうなど思っていました。仏様にご利益を頂いたことは何度かありますが、大正大行きが消えたことで今後の仏教との触れ方が曖昧になってしまっていました。さらに、いろいろ調べているうちに仏教の現状について少し疑念のようなものを持ってしまったのです。(在家出身の中には内心寺院出身にコンプがある人もいる、在家出は結局どこまでやっても自己満ではないか、天台宗某重大事件、日本仏教が全体的に現状維持或いは緩やかな衰退、密教においての在家と行者との大きな隔たり、そのため在家は糸目をつけない布施があってこそ…、真言密教は理念は大変良いが少し現状より理想が上回っていやしないか?、結局拗らせてオカルトやスピにいく人、事相家になる人、上座部、哲学方面にいく人…etc)何様のつもりかと言われればその通りですが色々と考えてしまいました。 最近仏教についてネットで調べていたら信心深い人ほど真言陀羅尼から離れよう唱えまいとする、という文言を見ました。またこの数日で水上勉の「良寛」を読み現実と地続きの禅師の生き様、慧能禅師の本来無一物の法語がもの凄く印象的でした。また、自分は智山派推しですが、客観的に詰まるところ仏教は座ることが究極ではないか。禅定こそ最終形態、本来の仏法を秘めているのでないか?と直感に思った次第です。 さて、自分はこれからご利益信仰と独学の学解と自分で納得したお勤めをしていくか、それとも今まで頭に入れた知識をひとまずすべて放り投げてただ座るべきか。ロクに護摩祈祷も坐禅体験もしたことがない頭でっかちですが密教、禅宗のお坊様にアドバイスいただけると幸いです。大変失礼な放言をいたしました。

有り難し有り難し 9
回答数回答 2
2025/12/03

神様、仏様、閻魔大王様、お地蔵様を冒涜

仏様、神様、閻魔大王様、お地蔵様、そして神様の教えや思い、仏様の教えや思い、閻魔大王様の教えや思い、お地蔵様の教えや思いを冒涜するような言動が頭によぎったり、口にしたり、態度に示したり、行動したり(仏像を壊すようなことはしていないが、何らかの拍子でやってしまうのではないか、知らない間にぶつかっていたのではないかなどが不安)、思いついたり、考えたりしてしまいます。地獄に落ちるのが怖い。悪道に落ちることが怖いです。 例えば死ね、くたばれという言葉を動画とかで聞くと条件反射的に仏様と連想してしまう。地獄に落ちるのが怖い。悪道に落ちることが怖い。そして仏様も神様も閻魔大王様もお地蔵さまにも滅びることなく我々を見守ってほしい。この考えは心からのものなのに冒涜するような言動を反射的に頭によぎらせたり思いついてしまいます。地獄に落ちる恐怖で迷っている状態です。冒涜するような言動が頭によぎったり口にしたり態度に示したり行動したり、思いついたり、考えたりするたびによくない。間違っている冒涜してはいけないと否定し、撤回するだけでは足りないでしょうか?

有り難し有り難し 38
回答数回答 3
2025/11/11

仏教用語を使わずに仏教精神を伝えられるか

久しぶりに質問させていただきます。以前相談させていただいたことは、おかげさまでその後少しずつですが好転の方向に向いてきました。私自身の考え方とも少しずつ向き合って、まだ苦しむ時間は少なくありませんが、自分の考え方の癖に気づくことも増えてきました。 今日は、昨年から通っている、とあるスクールの考え方について質問します。 そのスクールは仏教系で、創始者はお坊さん、その弟子で現在の経営者兼講師の方は得度しています。経営理念は仏教の慈悲で、講座のたびに時間の半分以上を使って仏教の心構えを教わる時間があります。 私も受戒しており、そのこと自体はかまわないのですが、経営者の方の教え方は、仏教用語を使わずに仏教的精神を持った人間を育てようとするもので、多くの受講生が教えられることを上手く飲み込めずにいます。 受講生の中には仏教徒もいますし、そうでない人もいます。仏教についてよく知らない人には、話されていることが難しくてわからないこともあるようです。 そのスクールではお寺でボランティア活動や法要に参加することがあり、仏教の精神に基づいて行動するよう求められるのですが、多くの人がどう振る舞えばいいのか迷いながら活動しています。 中には仏教について無理解な発言をしてしまったり(たとえば生前受戒した人に対して、「いつでも死ねるね!」など)、場をわきまえない行動をしてしまったりして、お檀家さんの中には白い目で見る人もいます。 講師の方がなぜそうしているのかはわかりません。自分は仏教用語を使わずに教えられたからなのかもしれません。 ただ、言葉を使わずに中身だけを伝えて、仏教の精神を体得した人を育てることは可能なのか、疑問があります。お坊様方のお考えを伺いたいです。

有り難し有り難し 30
回答数回答 3
2025/10/10

輪廻転生について

現代物理学には「ホログラフィック仮説」というものがあります。 これは、「私たちが実際に存在していると思っている宇宙も、実は宇宙の“境界(例えば宇宙の外縁)”にある二次元的な情報の投影である」というものです。 この仮説から、我々の物質世界は実はアカシックレコードにある情報が物質化されたものだと考えることができます。 また、過去から未来に流れる直線的な時間というのも実際には存在しておらず、情報が物質化されることによって、まるで時間軸に沿って物事が成立しているように感じられるのだと思います。 哲学者のベルクソンは、時間を「過去が現在に溶け込みながら未来を生み出す連続的生成」と考えました。 そして、世界の本体は「イマージュ」であり、それが外側に展開したものが「物質」、内側に沈潜したものが「記憶」であると考えました。 また、我々の「脳」は、思考を作り出しているのではなく、「純粋記憶=情報」の中から我々の行動に役立つものを選び取っていると考えました。 これらの議論から、私は肉体的な輪廻転生はないと思います。 アカシックレコードにある「純粋記憶=情報」が物質化されたのが我々の生きる世界であり、輪廻転生とは「純粋記憶が物質世界に現れること」を言うのだと思っています。 三島由紀夫は「未来からの輪廻転生も考えなければならない」と言いましたが、これは以上の議論を踏まえたことだと思われます。 また、私は仏教の無我の思想は正しいと思いますが、一方で人間の「魂」の存在も信じたいと思っています。 古代中国には「魂魄」という概念がありました。 「魂」は精神を支える陽の気で、死ぬと天に昇るとされました。 「魄」は肉体を支える陰の気で、死ぬと地に帰るとされました。 私の考えでは、「魂=宇宙」であり、アカシックレコードの情報から脳が選び取ったものを「魂」と考えれば、仏教の無我の思想と矛盾しないと思います。 (魄についてはよく分かりません。) さらに、「生命」についてはシュレディンガーが言ったように「負のエントロピーを食べる存在」であり、暗黒流体という負のエネルギーによって成り立っていると考えています。 これらは全て、執行草舟氏の思想をもとに考えました。 私が言いたいのは「古典的な仏教の世界観だけでは、宇宙や世界を説明するのに不十分ではないか」ということです。 ご回答よろしくお願いします。

有り難し有り難し 25
回答数回答 3