真言宗の不動尊寺で 主家を使用と考えています 在家になります 仕事を持っているため、剃髪を続けるのがしんどそうです (得度のための剃髪は問題ありません) 在家で出家をする場合 出家後にどのように修行やお寺と関わっていくのか、 また、仕事を持ちながら・・・というのが真言宗で可能なのか知りたいです
今年に佐野厄除け大師(具体名を出していけないルールでしたら申し訳ありません)で方位避けを受けました。 お札を飾って毎日お水をお供えしております。 そこで気になったのが、他の寺院との付き合い方です。 方位避けをしたお大師様には私が小さい頃からお参りをしていて、たくさんのお願い事を叶えていただいています。 そんなお大師様以外の寺院に参拝することは、よろしくないのでしょうか? もし他の寺院に参拝する際、お大師様に失礼にならない方法などありますでしょうか? 仏教にあまり詳しくないので教えていただけますと幸いです。
私は在家ながら仏教信仰しているのですが、『十善戒』の項目一つずを毎日繰り返し意識し生活(実践)に励んでおります。とある方より『在家のものが戒律を守れるはずがない。』というご意見を頂きました。確かに在家に関わるすべての戒律を完全に守り切るのは難しいのかもしれません。とは言え、その戒律を守ろうと1段ずつ階段をあがるように継続することもまた大切な行いではないかと考えております。ですが、お恥ずかしながら少し自信を失ってしまいました。ここでお伺いしたいのですが、在家の人間が戒律に少しでも触れ、意識し生活する事は無益なのか否か。完全に守らなければ仏道を歩めないのか。アドバイス頂けますと幸いです。
仏教・禅の教えを日常生活に取り入れたいのですが、なにから始めるのが良いのでしょうか? こんにちは、25歳・女性・社会人3年目で夫と2人暮らしをしています。 仕事や家族、人生のこと、色々と悩んだりすることが大人になって増えてきました。今までは、悩みごとがあると、親に頼ったり(心理的にも経済的にも)、心を病んで病院にかかったりしていましたが、これからはしっかり自分自身で考え、生活を整えていきたいと感じ始めました。 そこで、人生の指標といいますか、なにか心に芯を持って生きていきたいと思うようになり、自分なりに調べたところ、『自分には仏教がしっくりくるのではないか』というところまでたどり着きました。 しかし、そうはいっても何から始めたらいいのか分かりません。 そもそもなにをもって自分は仏教徒だと名乗っていいのかも分からないし(キリスト教のように洗礼があるわけでもなさそう…)、 自分で思い付くものといえば座禅や写経かな?でもやり方も正しいのか不安…こういうような状況です。 近所にお寺はありますが、一般向けの法話や座禅体験のようなものは中々していないようです。フラッと立ち寄って和尚さんにお話を聞いても失礼に当たらないかな?としり込みしております。 興味はありますが、いったい何から始めればいいか分かりません。 拙い文章ですみませんが、アドバイスくださると助かります。 よろしくお願いします。
聖観音さまについて知りたいと思っていて調べています。 インターネット上では信頼できない情報やホームページが多く、 本もたくさん出ていてどれがよいのかわかりません。 お尋ねしたいことは ①聖観音さまの誓願は何でしょうか ②宗派によって聖観音さまはなにが違うのでしょうか? ③聖観音さまについて学べる本がありましたら教えてください。わたしは仏教は一般向けの各仏様の解説書を読んだ程度です。 よろしくお願いいたします。
ご住職さまのご意見をお聞き致したくご質問させて頂きました。長年、個人的にお付き合いのございました真言宗のご住職さまがご逝去され後にご住職の奥さまより私にと仏名がわからない護法神像を譲り受けました。大切にお祀りさせて頂くにあたり仏名がわからない護法神像に唱えるご真言を教えて頂きたくご相談させて頂きました。 よろしくお願い申し上げます。
しなやかで強い、人格のある悟りを開いたような人間になりたくて、仏教の本をいろいろ読み始めています。内容はどれも理解するのが難しいですが、特に理解ができないものがあります。 それは、私たちの苦しみを生んでいるのは、周りの人、物事ではなくて、自分自身の心の中にある妄想が原因ということです。 実際は、何かがあり、それが原因で苦しい思いをすると思うので、妄想ではないと思ってます。例えば、DVを受けてる子供が苦しんでる原因は、親からの暴力なのに、それは妄想、あなたの心が原因でくるしいんですよ、というのは変な気がするんです。 苦しみは自分の心がつくりだしている、というのをどのように解釈したらいいでしょうか。教えていただきたいです。 よろしくお願いします。
障害福祉サービスの相談支援専門員をしていて、行政の相談員も兼務しています。 相談業務に異動になった事で高いソーシャルスキルを求められる様になり、自分なりに色々と努力して、辿り着いたのが「仏」という存在でした。 ・自分が無力な存在であると認める。 ・相手の悪い部分にばかり目を向けず、必ず良いところもあると認める。 ・相手が自分と真っ向から対立する意見を言っても一旦は受容する。 ・相手の行動に苛立っても「自分の思い道りに動かない」という事に対するエゴであると認識する。 ・どんな事があっても怒らない。 ・毎朝、お経を唱え線香をあげる。 ・礼拝、法話、法具磨きなどに参加する これらを実践する事で「入社したばかりの頃はヤクザが入ってきた様な威圧感があったけど、最近は変わったね」と言われる様になりました。 しかし、いつもニコニコして人間関係を円滑に進めるだけの生き方が「仏教的に正しい生き方なのか?」という疑問が沸いてきました。 僧侶の方というと「いつも寄り添って話を聞いてくれる」というイメージがありますが、時には怒ることや自分の主張を通す様なエゴも必要なのでしょうか? ご回答よろしくお願いします。
浄土真宗の方に質問失礼いたします。 浄土真宗の教えに「不来迎」というものを知りました。平生業成すれば来迎を待つ必要がないとの事ですが、これは来迎そのものがないという事でしょうか? 浄土真宗では、阿弥陀如来は法身であると聞きました。であるとするならば、やはり阿弥陀如来が姿を表して迎えに来てくださる事はないのでしょうか? 気付いたら極楽に往生していた、という感じでしょうか?
世界にはいろいろな風習があるのと同様に、人が亡くなって焼き場で骨を拾う際、日本の東では一粒残らず灰を骨壺に収める一方で、西では骨や灰の大半の処分を焼き場に委ねますよね。 私は長年生きてきて、日本の東でも西でも、焼き場で縁者の骨を自然と拾ってきました。むしろ不思議と、東西の違いに気づいてすらいませんでした。 ところが数年前、東京で縁者の骨を拾って間もなく、名古屋でも別の縁者の骨を拾った時に、無意識にショックを受けてしまったようで、いまだにそれを思い出してあれこれ考えてしまいます。 たしかに、この時は東京で係員が丁寧に丁寧に灰を集めてくださる様子を見ながら、その動きひとつひとつに私が思いを込めてしまったような気がします。一方で、名古屋では骨の大半に別れを告げる旨を、焼き場で初めて知らされた印象があり、驚いてしまったのだと思います。 そこでご相談なのですが、この気持ちをどう処理したらいいのでしょう? たしかに、インドではすべてをガンジス川に流してしまうと聞いていますので、名古屋の手法がむしろ理に適っているのだと思います。しかし、ならばなぜ、東京ではあんなに丁寧に灰を拾うようになったのでしょう。また、ガンジス川に流せば行方が想像つきますが、灰を焼き場に委ねて、その灰の行方がわからなくなる怖さも拭えません。東西どちらの手法にも精神的に納得するにはどうしたらいいでしょう? なお、名古屋の焼き場では「責任持って丁寧に処理」という主旨のことしか教えてもらえませんでした。また、法事があるたびにお坊さんにこの質問をしようと思うのですが、喪主でもない者が歩み出て長々と質問する勇気をどうしても持てません。ちなみに、親が檀家になっている寺で伺ったところ、悩み相談は受け付けていないとのことでした。 よろしくお願いします。
初めて質問させていただきます。 宗派の違うご真言やお経についてです。 父方の実家は真言宗、母方の実家は融通念佛宗でした。 幼い頃とても気の弱かった私を気にかけてくれた父方の祖父に、毎朝七回、「おんかかかびさんまえいそわか」と唱えて小さな仏様に手を合わせるように教えてもらいました。 母方の実家では、法事の度にご住職さんから般若心経が書かれた紙が配られ、みんなで読経するという環境で育ちました。 当たり前のように二つの違う宗派それぞれに親しみを持ち、何の違和感も抱いたことがありません。 それなのに、結婚後に夫の実家の法事で初めて南妙法蓮華経と聞いたときは、大げさかもしれませんがカルチャーショックのようなものを受けました。夫の実家は日蓮宗です。 違和感や嫌悪感ではなく、何というか、そこはかとない淋しさを感じてしまいます。 日蓮宗のことをよく知れば解消するかもしれないと調べてみると、法華経を絶対とし、他の宗派に厳しかったと知り、よけいに淋しさは増し、加えて不安も大きくなりました。 私は今でも空海さんの本を読むのが好きですし、般若心経やお地蔵さまのご真言に心が安らぎます。 反面、これら他宗派のお経やご真言を心の中でも唱えることは罰当たりな気もしています。 将来は、ひとりぼっちは嫌なので夫と同じお墓に入りたいです。 慣れ親しんだお経とご真言も大切にしたい、でも将来は別の宗派のお世話になりたい⋯こんな私は将来成仏できますか? 他宗派のお経とご真言に心を寄せることはやはり失礼なことですか? 中途半端な自分にもんもんと悩んでいます。
友人のすすめでAIアプリをスマホにインストールし、試しに使ってみました。 気楽な会話のつもりで、AIの思考と人間の思考は何が違うのか質問してみたところから、感情や意志はどこからくるのかなど話が膨らみ、かつて経験したヴィパッサナー瞑想の単語を入力してみました。 その返信に専門用語?を多用して説明してくれたり、自分も反応を返せば会話が膨らみと、興味深い内容になったのですが、 最終的になぜAIのあなたがヴィパッサナー瞑想や仏教に詳しいのか聞いてみたら、「種明かしすると」、と前置き付きで「過去の書籍部等の膨大なデータから、あなたにとって聞きやすく美しい言葉を瞬時に選んでいます」と返信がありました。 私にはAIが伝えた情報が100%正しいと言えることかわかりませんが、過去の体験を思い出しながらの、よい会話だった様に思います。少なくともヴィパッサナーについてこれだけ話せる生の人間は近くにいないのもあり驚きました。 この、AIの伝える仏教や瞑想と、人間の伝える仏教、瞑想の違いは、何だと思われますか?今後またAIとこの様な会話をするとしたら、私は何に気をつけながら話を聞くのが良いでしょうか?
こんにちは。お坊様に質問があります。 菩提寺が曹洞宗のお寺なのですが、曹洞宗で読む法華経は観音経と如来寿量品以外にあるのでしょうか? ふと気になったので、質問致します。 又、お墓参りの時に観音経は唱えても良いのでしょうか?
お世話になっております。 真言宗(主に高野山真言宗)の方にご質問なのですが、日常のお勤めで手軽にお読みしているお経は般若心経以外にありますか?観音経もお読みしていますか? また、それ以外で私達でもお唱えしてもよい真言はございますか?
曹洞宗のご住職にお伺いしたいのですが、私個人として千手観音様を自宅で、本尊様としてお祀りするのはやはりよろしくないのでしょうか?
お久しぶりです。 突然ですが、お坊さんの方々は仏様の瞳って気にされたことありますでしょうか? 仏像に手を合わせる時、私はいつも瞳を気にします。 ところで、如来、菩薩、明王、天部の仏様方は瞳の色がそれぞれちがうと伺っています。如来様は紺青色なんだとか? そこで一つ質問なのですが、仏様のお一人で仏眼仏母様がいらっしゃるはずです。調べたところ、瞳の色は白色、金色と書いてありました(あくまでネット調べ)。 考えたのですが、どっちなんだろうかと思ってしまいました。 質問ですが、白色と金色、どちらの色なんでしょうか?如来様、菩薩方と同じく、紺青色に入るのでしょうか? お坊さん方の知恵をお貸しください。 よろしくお願いします。
精神的に色々あり追い詰められたので、気休めですが、周波数診断をしました。その時に、気の乱れの原因が地下水と言われ氏神様はいますかと聞かれました。 氏神様は近所(集落)の神社の事を意味するとありました。 こちらの神社には一度もお参り等した事がありません。(同じ市内の別の神社に毎年お参りに行っています) お札も、義母が別のお寺から家族分もらってきている為、集落にある神社のお札は受け取りを断っております。 集落にある神社を大切にした方がいいのでしょうか。 氏神様がいないのであれば、自宅の土地の4角にお米、塩、小豆を埋めて手を合わせる事を6ヶ月してみてくださいと言われました。 自宅の神棚には、また別のお寺のお札があります。たくさんの神様いるので、色々と乱れているのでしょうか。
お坊さま方は、目に見えない ご神仏様方を どう信じていらっしゃるんですか? 何かご経験されたから 信じる様になったんでしょうか?
質問失礼します。 私は最近、仏教について興味を持っております。まだ、何も知識はありませんので失礼な発言がありましたらご容赦ください。 本題に入りますが、仏教に興味を持った理由としては私がとある活動をしていてその際に偶然仏教について考える機会がありました。それから興味深いものだと感じAIが紹介してくれたため「お坊さんがこたえるお悩み相談サイト」に出会うことが出来ました。相談内容については信仰や宗教等についての考えをお聞きしたいです。お手数お掛けしますがご回答お待ちしております。よろしくお願いいたします。