なぜここまで人を傷つける事ができるの
少し前に夫の不倫の事で相談しました。
悩んで考えて毎日苦しい日々の中、自立しようと動いています。
でも、
なぜ夫とその彼女は2人とも寺の生まれで浄土真宗の教えを聞きながら育ち、本願寺で人に教えを説いたり、施設で終活の話をして南無阿弥陀仏と唱えてるのでしょう?
ここまで人を追い詰めて傷つけても平気なのはなぜでしょう?
むしろ、私がどこまで耐えられるか試しているような気がします。
もはや人の心は無いみたいです。
そして私という存在は、寺の飾りにもならない物だったのでしょうか。
在家出身の私より、一回り歳下の大きい寺の娘の方が大事な存在のようです。
離婚届けにもすぐにサインされました。
こんなに傷つける人たちからは離れなくてはならない事がよくわかりましたが、なぜかこの家から愛人に会いに行き、泊まりの後にもこの家に戻ってきます。
まだ傷つけ足りないみたいです。
もう1人のスナックのママに言い訳できないからでしょうか。
私も子どもも心はボロボロになってきています。生きる事はこんなにもつらいものですか。
夫の愛人が SNSで「今、私たち会ってますよ」アピールし、アップしているのを私に見させる為に私のアカウントに「いいね」をしてきてからおかしくなりそうでした 彼女の生き方は本当に粘着質で怖ろしさを感じます メアドには夫の名前の一部と夫の誕生日を入れて 夫の転勤についてきて、引越しまでして新しい職に就いて 私と子ども達を追い詰め 一つの家庭を壊し、両老親、親戚を悲しみに陥れるために全ての労力と時間を割いて 見事に達成 その彼女の職は浄土真宗僧侶 彼女の夫への執着 執着の恐ろしさ
中年の僧侶たちがいい歳して不倫の恋愛ごっこ その口で南無阿弥陀仏と称えて法話 そんな中年女僧侶の「迷惑かけるけどずっと一緒にいて下さい」と家庭ある人にハガキを出す図太さ 滑稽で軽蔑する
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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法を聞いても、法不在で生きているのでは
こんにちは、またご縁がありました。
「離婚届けにもすぐにサイン」と聞いて驚いております。前回、ご主人とは19歳のときからのご縁と聞いてましたので、ご主人はそんなに簡単に思い切れるものかと。
こんなにバッサリと縁を切る人の情の薄さ、また周囲が見えていない浅慮さに呆れます。あまり、強い物言いは本意ではありませんがが、その思いを禁じえません。
「寺の生まれで浄土真宗の教えを聞きながら育ち、本願寺で人に教えを説いたり、施設で終活の話をして南無阿弥陀仏と唱えてるのでしょう?」とのお尋ねです。私たちの宗旨ではご存知のように、法話を聞き、お念仏をしているからといって仏様に近づくわけではなく、凡夫、おろかな常人のままです。たとえ住職であっても、肝心なご信心をいただいているとは限りません。そして、阿弥陀様に頭をたれながら、阿弥陀様がご不在の人生を生きてしまうこともあります。これは、ご主人を嘲ろうと言っているわけではなく、法を聞く私たちの問題でもあります。ただ、ご主人は以上に挙げた点を見直すきっかけを失っているのでしょう。
親鸞様は、法話を聞いてご信心を頂いた人は、貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)、愚痴の毒を段々好まなくなってくるものだ、といわれています。この点で、ご主人は貪欲に過ぎているのでしょう。親鸞様のお手紙をどう読まれているのでしょうか。
凡夫は、法を聞く、ご信心を頂く、自らの生活を少しでも慎んでいく、これがなければ単なる俗人です。「ここまで人を追い詰めて傷つけても平気なのはなぜ」というのは、単なる俗人になっているからではないでしょうか。
本山でお話をし、施設でも活動されているということで、宗派の中でも一定の認知がされている方なのでしょう。ただ、繰り返しになりますが、だからといってご信心を頂いているとはイコールにはなりませんし、ご信心を頂いていなければお浄土にも往くことは不可能です。
これまでの経緯から、お念仏の教えを素直に聞くことは難しいかもしれません。また、今後の選択をどうされるかもご自身のご決断です。ただ、折角ご縁のあったお念仏の教えをそのものを、少なくとも嫌いになっていただきたくないと思っております。
ご参考になれば幸いです。
質問者からのお礼
釋悠水先生
ありがとうございます。
拙い文章で申し訳ありません、施設での仕事をしているのは、彼女の方です。
夫の本願寺での仕事や、どういう立場なのかは私にはわかりませんが、一生懸命働いているのだと思います。
ただ、
在家から家族になった私の事はどれだけ傷つけても大丈夫という認識があるみたいに感じます。自身の親兄弟には、尊敬をもって話しています。
私は今自分の居場所の無い悲しさや虚しさをどうしようもできなくて毎朝目が覚めなければいいのに、と思ってしまいます。
お返事ありがとうございます。
また、そのお言葉を励みにいきたいです。
昨夜、子どもが涙を流しました。
愛人を追いかけ回して愛人を喜ばせる事だけを考えて、離婚すると言いながら、ここに戻ってくるその甘え。私たちとの間さえもけじめをつけられない父親を情け無いと泣きました。
私は自分の苦しさだけを訴えていたのかもしれません。
子ども達にとっては父親です。どんなにつらい思いを隠していたのでしょう。
夫も転勤になった本願寺で四苦八苦しながら彼女の癒しだけで頑張ってたのかもしれません。そして、彼女も付いて来たとはいえ、ビハーラという初めての職場や他所の土地で頼りは夫だけなのかもしれません。
気づいていましたが、やはり私には、夫と一緒に暮らさないという選択しかないみたいです。
悲し過ぎて前が見えませんが、仕方ありません。
お返事ありがとうございました。1人でも私を励まして下さる方が居るのだ、と思うと安心できます。