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過去の母親の不倫が許せない時がある

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自分ももうおばさんと呼ばれる大人なのですが、私が中学生のころに母は浮気してました。

母も詰めが甘いのですが、わたしと共用の携帯にツーショット写メが残ってたり、予測変換に「愛してる」「好き」っていうのが出てきたりで気付きました。

母親はバレてるの気付いてないか、気付いてるけど知らんぷりしてます。

先日、父から過去の不倫について責められると愚痴られたのですが、これについて母が「不倫してない、勘違いしてる」と言っているのを聞いて凄くショックというか、悲しくなりました。本当にしてないと思ってるのか、嘘かなので。


それ以外は良い人なんですけど、どうしても信頼できないというか、時々「不倫してたくせに」と心の中で毒づいてしまう時があります。

また、いま一緒に暮らしているのですが、母に対して傷つける様なことを言いたくなる時々があります。
離れて暮らした方がいいでしょうか

2024年10月26日 22:36

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人間の弱さ切なさに学ぶ

人は心底頼れる相手、心底愛せる相手、心底信用できる相手を探していながらも、それを求める自分自身は聖人君子でも何でもないという現実がある。
あなたも親であれば、父親母親であれば「こうであってほしい」「こうあるべきだ」「こうするべきだ」ということがあろうかとおもいます。
ですが、その理想を求めるあなたも聖人君子でも何でもない。
誰もが聖人君子でも何でもない。
釈尊とて、出家前に妻子を捨てて飛び出し、キリストとて世界にキリスト教という名目、聖戦という名目での侵略行為や戦争がまさか起こるとは思わんかったわけですわい。
そこで、です。
そこで、人は真意向うべき心の方向性とは何かと問うとき、自分はどうか。相手がどうこうよりも自分はどうかと問う。
そして、自分の至らなさを知る。
そして、それは自分だけではなく、あなたの友達も、親も。父親も母親もかつては少年少女。
みんなこうあったらいいなぁと思い願って理想に限りなく近い相手と結婚をするものです。
ところがふたを開けてみたら、現実は厳しいものだったりする。
夫も父親として夫として男として仕事、職場で蹴落としあいの社会の戦場でグダグダに疲れて帰ってくる。母親も子育て家事で疲れて、夫の希望通りにならない。
そこで衝突が起こる。
冷たい言葉が飛び交うこともあったでしょう。
愛を求めて愛を欲する人間同士でありながらも、世間の荒波に酷い仕打ちを受ければ言葉、言動も乱暴になる。
そうすると愛を誓い合った中であってもすれ違いが生じて、より優しい存在を求めるようになって誘惑に負けて人の道に外れるようなことをするのでしょう。
学生たちだったそうでしょう。みんな席替えをするかのように元カレ元カノさんの席替えが毎日起こっている。
結婚こそしなくてよかったものの、トンデモナイ相手だったりすることも当たり前に起こる。
そういう弱い存在が人間であり、男女というものです。
よって、母としてみるというより一人の人間として問う。
過去がどうであれ、今お互いがどうなのかを問う。
みんなが自分の事しかないから愛に飢えるのが人間の世界。
そこで、もし母親を安らかなる心へ導かんとするならば、対立が生じるようなアクションは愛から遠くなるので上手にアクションするべきでしょう。
人や家庭を明るくしたいのであればこそ、愛ある思考、愛あるアクションで対処する必要があるでしょう。

2024年10月27日 10:36
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

離れて暮らすのも一つかもしれません

拝読させて頂きました。
あなたは過去のお母様のことで疑いがあり信用できないのですね。他のところはいいのにそのことを思い出すとそのことで言いたくなってしまうのですね。そしてお母様を傷つけてしまいそうになってしまうので離れて暮らした方がいいのかと思うのですね。
詳細なあなたやお母様のことはわからないですが、あなたのそのお気持ちを受け止めさせて頂きます。
今お母様の顔を見るとそう思ってしまうのかもしれません。そしてついつい言いたくなってしまうのかもしれません。
親しいあいだがらでから余計にその思いが強くなってしまうのかもしれません。責める気持ちにもなってしまうのでしょうね。
あなたがそう思うのであるならば離れて生活することも一つの方法かもしれません。お互いに嫌な思いをしながら一緒に生きることは苦痛でしょうからね。
人生では様々なあやまちや罪を犯してしまうものです、人を傷つけてしまったり人の人生を壊してしまったり人の命さえ奪ってしまうこともあります。
その様な愚かな私達ではあるのです。
お母様自身の罪はお母様自身でしか償うことはできません。お母様が自らのことを心から省みることができ心から懺悔して心から謝罪することでできるようになります様に、あなたた皆さんとお互いを尊重し合い思いやり心豊かに生きることできます様に切に仏様や神様やご先祖様にお祈りさせて頂きます。至心合掌

2024年10月27日 8:48
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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

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