お墓に入るのがいやです
自殺すると思います。
父と同じ墓に入るのが嫌です。
私の将来は自殺しかないと思います。
精神疾患持ちです。何も出来ない自分に疲れました。もう解放されたいです。
でもそれを遺書なりで伝えても、結局墓に入れられると思います。
それが気がかりです。
それならいっそ誰も知らないところで死ぬか、と考えています。
父は他界しています。
母と2人暮らしです。残った母を悲しませても墓に入りたくないと思うのはいけないことでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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生きる意味があります
初めまして、お早う御座います。
きっと・・耐えきれない辛い思いや、苦しみの中で・・暗闇の中で必死に出口を求めているのだと思います。
私もかつて、大切な人を失いました。次々と押し寄せて来る難儀するものに負け・・命を絶ってしまいました。蘇生され意識が朦朧とする中で真っ赤な目をして私を見つめる父の姿を見て我に返りました。とんでもない事をしてしまったと。
私たちのこの身体には、沢山の願いや想いが込めれれています。何百年と続くご先祖様、父や母の願いなどです。そして、誰かがあなたを必要として・・あなたも誰かを求め、過去でもない、未来でもない・・この瞬間とい今を生きているのです。
苦しい事が多く、時々・・善き出来事が訪れるから、その有難さを大切に出来るのです。そして、お釈迦さまも”この世は思い通りにはならい”とおっしゃられています。私たちは、病気をしたり大切な人を失って・・目の前に仕合せがある事や、健康の身体の有難さなどに気づくのです。
あなたは大切な気づきを与えて頂けたのではないでしょうか?
訪れていない未来、起こっていない出来事を思うから・・それが不安や心配になるのです。
比較的に仕合せな国に産まれ、今があります。人生は予習や復習が出来ません。そして今日という日もそうです。明日が訪れるのは奇跡だと思います。人生を冒険旅行と私は思っています。生きるヒントが散りばめられ、そのピースを繋ぎ合わせて時には困難という嵐が来たら・・ジッと立ち止まって主人公の自分に問い掛けて、ゆっくり又、歩めば良いのです。そしていつでもリスタートが出来ます。自由に描き演じ人生も運命も、自分自身もいくらでも変えられます。
結果をすぐに求めよう!頑張ろう!とするのをもう、やめませんか?あなたには、あなたにしかない良さがあります。そして、あなたらしく人生を新たに描いて歩んでください。時が、季節が移り変わるように、困難は留まりません。弱い私も乗り越えて今があります。せっかくの人生です。無駄な事も、無駄な命も一切ありません。惑わされず、奪われず・・あなたらしさと心をゆっくりと取り戻して見ませんか?いつかは嫌でも彼岸(あの世)に辿り着きます。私もあなたの為に生きます。どうか私を悲しませないでください。私はあなたを必要としています。一緒に二度とない今を生きて見ませんか?いつでもメールください。合掌