ご先祖様のお墓を守るべきかわかりません回答受付中
相談できる方が思い当たらず、ここに参りました。私は、40代の主婦です。現在、父が祭祀を継承しており、その後は、私が祭祀を継承していく予定でおります。ですが、今、親族間で揉め事が絶えず、悩んでおります。私の両親が結婚してから、同居していた祖父母とは折り合いが悪く、何かと揉めてきたそうです。その揉め事には、必ず、父の妹2人が口を出し、私の両親が全て悪いのだと、いつも責められていたようです。それでも、祖父母の晩年は、私の両親を頼る場面も見られたため安堵していたのですが、祖父母が亡くなると、父の妹たちから、父と母、私を含む姉妹を責め立てるような内容証明が毎週のように届くようになりました。「祖父母からの言葉/意地悪な長男夫婦、特に嫁には、墓も仏壇もやらない。守ってほしくもない。」など、見返すことが辛い文面が延々と記載されています。私の記憶の中に、こんな祖父母はおりません。確かに、私の母とトラブルはありましたが、みんなで笑って話すことだってたくさんありました。こんなに恨みに思うなら、祖父が亡くなった時に、お墓と仏壇を父に譲らない選択肢を考えてほしかったです。祖母の葬儀一切さえ、全てを父に任せ、今になって過去の恨み言を伝えられても、私たちには、どうしようもありません。過去に戻れるわけもなく、祖父母と分かりあえるまで話すこともできず、祖父母の生前にそんな機会が与えられたとしても、父の妹達が必ず同席していたはずです。最近届いた内容証明には、「意地悪な長男と嫁には、実家の敷地への立ち入りを禁じます。そして、縁を切ります。」と書かれていました。祖父母の恨み言、父の妹たちからの恨み言、縁を切る…それでも、お墓は守らなければいけませんか?私自身、何度も考えました。仏様になった祖父母には、現世のしがらみなく、平穏に過ごしてほしい。なんの心配もなく成仏なさり、ご先祖さまたちと安らかに過ごしてほしい。仏様になられた今は、私の心、私の両親の心、全てご覧になり、きっと守ってくださるはず。そう思ってはおりますが、生前、心から恨んでいた子孫が墓守になることが、ご先祖さまの供養になるのでしょうか。私が継承する意義が見出だせずにおります。嫁姑、兄弟、どんな間柄であっても、トラブルが起こる理由は両者にあると思っています。どちらにも思いやりが足りなかったはずです。もう、全てに疲れてしまいました。
お坊さんからの回答 2件
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ご相談いただき、ありがとうございます。
まず、本当にお疲れさまでした。これまでよく、耐えてこられましたね。親族の中で、「仏事を守る」責任を担う立場は、想像以上に重く、時に理不尽な非難の矢面に立たされることもあります。それでもあなたは、「祖父母を思い、仏さまとして安らかでいてほしい」と祈り続けておられる。その心が、もうすでに“ご供養”の本質だと、私は思います。
仏教では、“命のつながり”の中に私たちが生かされているという見方をします。
祖父母がどう思っていたか、遺された言葉がどうであったか。それはもちろん事実として大切なことですが、“今”それを受け止めて、「どう供養していくか」にあなたは悩んでおられる。
その姿こそ、仏教でいう「報恩」の行いなのです。過去の確執がどうであれ、「それでも手を合わせたい」「それでも守りたい」と願う心に、亡き人も必ず応えてくれます。なぜなら仏さまは、「憎んだ相手は救わない」「許せないから見捨てる」そういう存在ではないからです。
怒りも、恨みも、苦しみも、そのすべてを超えて、命を育んでくださったご先祖の“本当の願い”はあなたのその祈りの中に、すでに生きていると思います。お墓や仏壇は、亡き人のための“家”ではなく、生きる私たちが、命のつながりを思い出し、手を合わせる場所です。つまり、お墓を守るというのは、「亡き人の思いに従う」ことではなく、「自分が、どう向き合っていきたいか」を表す行為なのです。
あなたが「継ぎたい」「手を合わせ続けたい」と思えるなら、それで十分です。反対に、「心が壊れてしまうほどなら、手放す」こともまた、亡き人との縁を大切にする選択肢だと思います。苦しみの中で供養しても、心が追いつかなければ意味がありません。
今は、心の余力が残されていないのだと思います。それは、あなたが精一杯やってきた証です。少し距離をとり、墓守の役割を一時保留すること、あるいは専門家(寺院・行政書士・家庭裁判所など)に相談することも含めて、「自分の心を守るための選択」をしても、罰は当たりません。
そしてどうか、「私は間違っているのでは」と自分を責めないでください。「もう、全てに疲れてしまいました。」その一言が、あなたに限界を教えてくれています。それは弱さではなく、これまでの努力の証明です。
あなたの苦しみが、和らぐことを願っています。
どちらでも良い
迷っているときはどちらでも良いときだと私は思います。
死者を弔い慰めることについて、日本では古来より、敵や罪人、恐ろしい相手に対しても手厚く葬ることは多々ありました。
むしろ、怖い相手だからこそ「恨まないでくれ、祟らないでくれ」という思いもあって慰める場合もあります。
また、どんな悪人罪人でもいずれは(来世以後で)悟りを開いて仏(真理に目覚めた者)に成る、つまり成仏するという信仰もありますので、敵や罪人であっても死んだら仏様だとみなして尊ぶという考え方もあると思います。
また、あなたにお子様がいらっしゃる場合、自分達のルーツ(先祖)の歴史を伝承してあげるのは、子孫達にとっては貴重かつ興味深い情報(宝物)となるかもしれません。
お坊さんとしては、仏様(ご本尊)を拝んで仏教に親しんでいただくことは、仏様の教え(悩み苦しみを消したり制御したりするテクニック)に触れるきっかけになるので、墓じまいしたとしても仏壇や仏像を拝む文化は残していただきたいとは思います。
結局は、ご自身やご家族の負担になりすぎない範囲で、無理のない選択をしていただければ幸いです。