大学受験失敗、無力さに絶望
私が大学受験に失敗した経緯については、私の過去の質問にある通り、1浪して去年落ちた国立大学Aに今年も不合格で、滑り止めの私立大学にいくことになった、という感じです。私の高校は偏差値65位の進学校で、現役で国立大学Aを始めとした偏差値の高い大学に行く人が多く、そんな中で、浪人して朝から晩まで予備校で勉強漬けだったのに、現役でも受かったような、偏差値50弱の滑り止めにしか受からなかった自分の無力さに絶望する気持ちが収まりません。浪人した努力が報われたのは、その私立大学で特待がとれて学費が浮いたことだけです。多分、落ちた原因は、私が他の人より精神的に弱いということが一番大きいと思います(模試の成績的には目指せそうな位置にいた)。高校で人付き合いが上手く行かなかったことが原因かもしれないが、他人の目が異常に気になってしまう。試験中も、誰かに見られてないか気になったり、周りがシャーペンで文字を書く音やくしゃみの音が異常に気になって、問題を解く手が止まったり。予備校のスタッフに相談したところ、「人が多い所で勉強して慣れるしかない」とのことだったので、センター直前まで人が多い所で勉強して、精神的弱さを克服できるように最善を尽くしました。それでも、センター本番で気になってしまった。また、心因性だと思うが、数学でコケた後、得意な理科でめまいがして、練習で取れていた点が取れなかった。結果、国立大学Aのボーダー位の点しか取れず、二次試験は「もうなるようになれ」という気持ちでやったので周りの目はほとんど気にならずに集中できたが、結局不合格だった。私は、高校で人付き合いが上手くいかず、部活も途中でやめてしまったため、「せめて勉強は頑張って、良い大学に行って、私を無視した人や私に冷たかった人に勝ってやろう」という気持ちもあり、勉強を頑張っていました。しかし、こんなに上手くいかないとは思っていませんでした。「高校受験は成功してるんだし、こんなに頑張っているんだから、神様は絶対見てる。」と信じてやっていましたが、現実はあまりに厳しかった。滑り止めでも私がやりたい勉強はできるのでもう気持ちは明るくなっていますが、自分の弱さを克服しようと最善を尽くしたのにこの結果。無力さに絶望しました。もう、私のような無力な人間は、頑張っても無駄なことを悟って、理想の自分を捨てて生きていくしかないのでしょうか?
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大学の名前とその後の人生に相関性はないそうです
林修さんのテレビ番組を見て、意外なことを言っていました。たくさんの人の人生を長い期間にわたり調査したところ、学歴と成功の度合いには何の関係もない、という結果が出たらしいです。東大出たような人が偉くなっているのは、東大を出たからではなく、もともとその人が能力があり、成功に対するアスピレーションみたいなものが強いのでそうなっただけ、と林先生は分析なさっています。
私はもうすぐ還暦ですから、あなたより少しは長生きしています。だから、林先生のおっしゃることは分かる気がします。その人が人生において達成したことと学歴の相関性には林先生の分析以外の関連はないといえます。学歴が低くても、三流大学しか出てなくても、実力のある人は順当に人生において成功なさっています。これは間違いないことです。
あなたは理系の大学に進まれるのかなぁ、と思います。だったら余計にそうです。私は文系の人生しか歩いていませんけど、工場に勤めていた父親は、旧帝大を出た人より私立のまったくブランド系にほど遠い大学を出たAさんの方がずっと優秀であるといっていました。学閥もへったくれもない分野に進むのでしたら、あなたはまったく気にする必要のないことで悩んでおられます。
林先生は東大出ですが、東大がどうした、世界の大学ランキングで何位だと思っているんだ、もっと広い視野でものを考えろ、世界を見る目を持て、とたびたびおっしゃっています。あなたは気にしないよいことを気にしておられます。もっと広い視野でものを見てみましょう。
質問者からのお礼
なるほど、たしかにそうですよね。今回の大学受験で努力が報われなかったのは残念ですが、良い大学出てもニートになってしまう人もいますもんね。これからは、あまり自分に期待しすぎずに、でも自分の能力を最大限引き出せるような生き方ができるように頑張ります!