後悔・男性不信
婚活と不眠で、疲れてきている状況でした。
それで、婚活で出会った男性の家に油断して行ってしまい
性病をうつされました。病院にいきましたが、完治しないそうです。
今まで真面目に恋愛してきておりましたが
なんで、家にいってしまったのか
体の関係を拒否しましたが、もっと拒否できたのではないか等、ずっと考えてしまいます。
もう絶望感でいっぱいです。
将来、誰かと結婚することも難しいですよね。
今後どのように生きたらいいのかわからなくなり
何かアドバイスをいただきたく、よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたの真面目さを感じます。自分を責めないで。
後悔の強さ・心配が伝わってきて、どれほど一人で苦しまれただろうと拝見しました。客観的に見てこの男性は酷いなと思います。拒否されたら、しないというのが誠実な対応です。また、性病を持っていたのになぜそういう事を女性にしたのだろうと怒りが湧いてきます。同じ男性として情けなく感じます。だから、まずあなた自身を責めないで下さい。
あなたは真面目に生きてきたのに家に行ってしまったことを後悔している。しかし、その時の気持ちも分かります。鎌倉時代の親鸞という僧侶は「さるべき業縁のもよおさばいかなるふるまいもすべし」と言っています。「人は縁があれば、どんなことでもしてしまう存在なんだ。様々な条件が重なればどんな恐ろしい行いをもしてしまうのが人間なんだ。」という意味です。様々な条件が重なってあなたは今回の出来事に出会った、それもまた人の姿です。だからこそ、人間は悲しいのです。苦しい現実に出遇わねば生きていけないのがこの世なのだと親鸞は言います。
人は、真面目な一面もあれば、不真面目な一面もある。いくつもの自分を持っているのが人です。その様々な自己を行き来してバランスをとっています。真面目な自分で一生居れると考える方が危ういというのが仏教の考え方です。様々な自分を生きその中で自分にとって生きやすい、良い地点を歳を重ねるにしたがって見つけていくのです。
今回非常に苦しい経験をされました。これを無かった事にはできません。この事を自分の経験として背負っていくしかないと思うのです。人は自分や誰かを傷つけてたり失敗してしまう事があります。人を傷つけることは確かに問題です。また、傷つけまいと思っていても傷つけてしまうこともあります。それが人間の真実です。しかしその事をどう受け止めているのか、これはもっと大きな問題です。その悲しみを背負ってどうこれから生きていくのかが大事です。そうやってちゃんと生きていれば、きっとあなたの弱い面、過去の失敗も含めて認めてくれる友人や異性が見つかります。(今回の事はあなたは被害者です)
一回の選択ミスで、自分がダメだと思ったり、価値がないなんて思わないで下さい。お釈迦さまは過去に何があろうと誰でも教団に受け入れたそうです。人を一度や二度の失敗で見ないという事です。性病は、専門家と一緒に治療していきましょう。私個人の意見ですが今回のような経験があっても気になりません。
質問者からのお礼
お忙しいところ回答してくださり、ありがとうございます。
誰にも相談できず苦しかったのが、ほんの少し楽になりました。
過ぎた事をずっと悔やんでいても仕方ないと承知しておりますが、あの時会わなければ良かった、もっと力が強ければ怖い思いをせずに済んだのでは…と考え泣いてしまう日々です。
受け止めて前向きに生きれるよう、もう少し頑張ってみます。
ありがとうございます。