男性嫌悪
男性嫌悪ところがあると自覚しています。男性店員さんや男性歯科医の人と関わるのは問題なく出来ます。ただ、毎日のように決まった男性と顔を合わせるのが苦痛に感じてしまいます。
そうなったのは、私の父親が原因だと思います。私は幼くして両親が離婚したため、父親と暮らした記憶がありません。
さらに、小学5年生になったときから20歳になるまで連絡が来なくなり、面会にも来なくなってしまいました。(理由は不明)そのため、多感な年頃で人間関係に悩んでいたときや自殺未遂など深刻な問題を抱えていたときも側にいないのが当たり前でした。
そんな環境で育ったせいか、男性から他人以上の距離感を感じると、何が目的なんだろうと疑ったり、嫌なことを言ったりするようになってしまいました。自分でも嫌な女だなと思います。
今は求職中ですが、職場の人間関係のことを考えると、男性と女性半々くらいの場所が理想と考えています。しかし、男性嫌悪な自分がそういった職場でうまくやっていけるのかが心配です。
どうか、こんな私にアドバイスをお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
“何が嫌い”か掘り下げると楽になる
嫌いなものは仕方ありません。
『本当は好きになりたいけど』と枕詞が付く場合と付かない場合で少し対応が違うかなぁ、と思う次第です。
しかし、どちらにせよ少し中途半端な印象はぬぐえません。
あなたは相手を“属性”で切り捨てているわけです・
“男だから”
“女だから”
“子供だから”
“年寄りだから”
もちろん、人生の時間は有限ですから、誰も彼もの個性を見て判断してあげる時間はありませんし、能力、容姿、経歴、立場、様々なもので自分と関係を持つ人たちを選別することは、ある程度有効なのも事実であり、その一つに性別が入っても何も問題はないでしょう。
しかし、少なくとも人間関係でこういう切り捨て方をするなら、完全に切るべきではないかとも思います。
つまり『男性と女性半々くらいの場所が理想』はあまりに中途半端です。
そんな中途半端な切り方をするなら、もう少し
“いきなり名前を呼ぶ人はNG”とか“個人的な連絡先を聞こうとする人はNG”というような、細かい規定を自分の中に作るのが良いでしょう。
私は先に述べたように誰でも個性を見て判断しよう、などとは思いません。
しかし、あなたの場合は“どんな男性が苦手なのか”というところまで少し掘り下げると、劇的に人生が楽になる気がします。
貴方の心に平穏あることを。
一人ひとりの人格を見る
「男性」という概念のラベルをいったんはがして、一人ひとりの人格を個別に確認してはどうでしょうか。
男女の違いより、個人差の方が大きいです。
男性の平均身長よりも背が高い女性が世の中にたくさんいるのと同じで。
まぁ、牛や羊なんかも遠くから眺めているだけの他人にはどれも同じように見えますが、深く関わっている飼い主には一匹一匹の違いがわかります。
少し勇気が必要ですが、男性の群れに深く関わることで、一人ひとりに個人差があると実感できるかもしれませんね。
質問者からのお礼
返信ありがとうございます。今まで父親のほかに学生時代や前の職場で男性関係で嫌な思いをしたことが多かったので、考えが偏ってしまったんだと思います。
新しい職場では、性別関係なく適度な距離を取ることを心がけたいと思います。