自分を許す、自分を認める
私は、嫉妬したり、羨んだりしたときに、
仕方ないなぁこんな私も私だ。
って自分を許して、認めています。
毎日、いろんなことが起きて、
そんな醜い感情に苛まれることもあると思います。
どんなときも、人の幸せを喜ぶことができればいいでしょうけど、自分に余裕がないときや、精神的に落ち込んでいるときは、全く人の幸せを喜ぶことができません。当たり前ですかね?
嫉妬も、人の幸せを喜べないことも、
自分の中では、仕方ない…
喜べなくても大丈夫!と許しているものの、
ホント心が狭いなぁ、器の小さい人間ってだなぁって自己嫌悪に陥ることも事実です。
他人と比べても何もいいことはない。
比べるなら、昨日の私と今日の私。
イヤな性格の持ち主も私だけど、
そんな感情が湧き出る私も私だから、
ちゃんと認めつつ前向きに
生きていかなくちゃ…
って思います。
でも、それは、どこかで自分を美化して、
正当化して、綺麗事にしてる自分を責めてしまいます。
答えのないループをぐるぐる…
生きるってホントしんどい!
大変だなぁって最近つくづく思います。
こんなことを考えずに、心から幸せと思える安泰、安寧、安定した日々を過ごたいです。
まとまりのない文章でごめんなさい。
よろしくお願い申し上げます。
嫉妬、執着、自己憐憫
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
現在地 目的地 歩み方
こんにちは、初めまして。
「生きるってホントしんどい!」とのこと。
同感です、本当にそうですね。
「他人と比べても何もいいことはない。
比べるなら、昨日の私と今日の私。」
もう、あなたは大切なことに気がついておられます。
嫉妬は、 相手と比べて相手を憎む方向と、自分を卑下する方向をもっていますが、いずれも相手と比べることによって生じます。そのことが分かっていて、あなたは本当に大切なのは自分との対決こそが重要だと言われているのでしょう。
「そんな感情が湧き出る私も私だから、
ちゃんと認めつつ前向きに
生きていかなくちゃ…」
この思いをあなたは「正当化」「綺麗事」としておられるようですが、そんなことはないと思います。人間についての正しい現状認識をしつつ、その現実から出発しようとしておられることはとても素晴らしいことだと思いますよ。
地図を見るときに、大切なことがあると教えられました。
それは、現在地がどこか、ということです。
どんなに良くできた地図も、これを眺める方が現在地がどこでどこに向かおうとしているのかが把握できなければ用を成しません。
あなたは、素の自分という現在地を把握しつつ、「心から幸せと思える安泰、安寧、安定した日々」という未来を目指して今歩いておられるのです。
その歩く中で、他人の芝生が青く見えることもありましょう。
ならば自分の芝生をもっと、もっと青くすれば良いと思います。
それがあなたの目的地までの歩み方だと思います
現在地も、目標も、歩き方も分かった今。
後はひたすら一生懸命にマイペースで努めていくのみです。
今後のお幸せを願っております。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございました。
自分でも、いろいろとわかってはいるんですが、
どうしても、苦しくなってしまうときがあります。
それでいて自分を正当化しているのではないか?
ということにたどり着いてしまいます。
「嫉妬は、 相手と比べて相手を憎む方向と、自分を卑下する方向をもっていますが、いずれも相手と比べることによって生じます」
ホントそのとおりです。
その後、自分に来る自己嫌悪→自己憐憫・・・・
そんな自分が苦しくなり、自分という人間を否定するという、
無限ループで心も頭もぐるぐると悩み、追い詰めます。
今は、自分がこころ穏やかな日々を送ることが目標です。
この度はありがとうございました。