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感謝や反省をする方法が知りたい

回答数回答 2
有り難し有り難し 15

こんにちは。

今回は
『感謝と反省をする方法』について
ご相談させていただきたいです。

なにか感謝をすることを見つけたり、感じたら『ありがとう』
なにかをらしてしまったり、なにかをやってしまったかな…曖昧なときでも私がなにかやったと感じたときには『ごめんね』を
意識して相手に伝えるようにしています。

その『ありがとう』と『ごめんね』を心の底から思えていない気がします。
できる日はスマホのメモに
・元気に過ごせた
・お腹いっぱい食べることかできた
・暖かいところで過ごせた
・大切な家族と楽しい1日を過ごすことができた
など感謝と反省点を記入するようにしています。
感謝をしたり、これはよくなかった…と気づくことはできているのですが
『ありがとう』と『ごめんなさい』は言葉だけのことが多くて、心の底から思えてないことが気になります。

悪いことをしてしまったとき
『ごめんね』は言葉では、いくらでも言えますが心から反省ができていなく、同じことを繰り返してしまうことが苦しいです。

苦しい、後悔を感じていても
悪いことを繰り返してしまったり、改善できないことが相手や自分自身を傷つけていたり、体がネガティブな感情に縛り付けられて
いるようで苦しいです。

どのように改善したり、工夫をしたり、
どのようなことをすると
『ありがとう』と『ごめんなさい』を心から思うことができ、同じことを繰り返さないようにできるのか教えていただきたいです。

お忙しいところ恐縮ですが、
教えていただけると嬉しいです。

2024年3月15日 13:16

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

報恩謝徳を知ることです。

すべては「心」が感受することにより、意識が転じていきます。
当たり前のことです。

さくももさんは「感謝」や「反省」をメモなどしっかり取ることで、認識は高まっています。しかし、あまりメモなど記すことが意識の軸となれば、何かが生じたときに感謝も反省も、自己分別によって差異(これは違う、これはそうだ。)等が生じることがあるかも知れません。

すこし時代を遡ると感謝と反省は、ひと昔は心で感じる人々が多くいました。それは、不便な時代だったからです。
現代のように、ボタンひとつで世界中に信号や文字、音声を送れる便利さはなく、また仕事なども現代のように働き口はほとんどなかった時代でした。
それ以外にも衣食住も同様に、衣類も購入できず他人からお下がりをもらう、食べ物も分け合う、住むところも布団や毛布など多くの人から助けられながら生きている時代がほんの数十年前にも日本に存在したのは事実です。

現代は、その不便さが見えない時代であり、近くの人に頼らなくとも携帯ひとつで頼れたり、他に逃げ道をつくれる時代です。

人間生きていれば、艱難辛苦があります。本当に人生に行き詰まった時など、だれが親身になって助けてくれるでしょう。それも無償(慈悲)の心をもって。現実は、友達と思っていても、自分ことを顧みず他人を救済する時代は古い考え方のように思われる時代でもあります。

本当に困ったとき、誰にも助けられなかったとき、そんなときに手を差し伸べてくれて人に出遭ってはじめて"真の感謝"を心身とともに覚えるでしょう。

反省は、失敗や羞恥を繰り返さないためにある特殊な能力のひとつです。ただただ反省だけではなく、反省の中から以降どのようにすれば失敗などが起らず、成長していけるかの能力に転ずることが肝要となってきます。

感謝も反省も自身の中で、決めつけるものではなく、相手がいて初めて生じる感謝と反省です。感謝も反省も、その助けてくれたなどの恩をどのようにして返していけばいいのかを考える報謝を知ってこそ、感謝と反省が後々に心に現れていくものです。

参考程度に。

2024年3月15日 23:59
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https://kouenji.site/2022/10/31/%e5%bf%83%e3%81%ae%e5%ba%95%e3%81%8b%e3%82%89/
 さて解答のタイトルの通りなのですが、「謝ること」イコール「改善すること」ではないと、まずは知ってください。コミュニケーションとして謝るのと、その後内省して行動を変えていくには、もう一段階のプロセスがあるのです。
 だから、「心の深さ」という捉え方でなく、「問題に気づいた」か否か、自分なりの学びと新しい方針を言語化できたか?を自らに問うてください。
 私はむしろ、「心の底から」に囚われて気軽に「ごめんなさい」を言えなくなる方が心配です。

2024年3月15日 23:59
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