自分を許せない
生きていたくないですって何度も相談してしまって申し訳ございません。介護の仕事をしていて相手の立場になってやらないといけないのに自分を優先してしまう時もあります。何度も同じことを大きな声で求めてくる方がいます。食後の薬と歯磨きを自分が食べ終わったら一番にやってもらいたいからです。しかし食事介助が必要な方がいるので待って欲しいと伝え少しの間は待ってくれますがそのうち「くれないならいいや」「歯磨き連れて行ってくれないならいいや」と投げやりに言ってきます。食事介助が終わり残りの方の服薬については別の職員に頼んで全盲の方の服薬と口腔ケアを行ないます。居室に歯磨きに誘導する時に「ここはお家じゃなくて他の方もいます、食べ終ればすぐにお薬を出せないです。順番にやるので大きな声を出さないで待っていてください」と強めの口調で言ってしまいます。認知症なので一度、言った事を忘れてしまう事は分かっていますが
どうしても強い口調で言ってしまうのです。そんな自分が許せず家に帰って衝動的にリスカしてしまいます。少しでも傷つけてしまった心と同じ痛みを味わおうと思ってです。今までは仕事中でも声を荒げたくなることはなかったですが
ここ最近はイライラし通しです。こんな自分を許せません。入退院を繰り返してした時には看護師の方はどんな時でも優しい言葉でした。その経験を受け医療の資格がなくても出来る介護の仕事を選んだのに今の私のやっている事は正反対です。仕事に行こうと思っても精神的に苦痛になります。心療内科の医師は妥協も大事と言ってきますが出来れば自分を痛み付けたりしないです。後悔もしません
また仕事に行くと今日こそは優しい言葉で話そうと心で思っていても同じ事を繰り返しています。こんなやさしさの欠片もない私は生きていていいのですか?
どうすればこのような私は死ぬことが出来ますか?生きていていいのですか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
減点ではなく頑張った部分もしっかり評価。労って心身を休ませて
リスカ痛かったわね…傷の手当ても、心の手当てもしてあげたいわ。
毎日大変な中、従事してくださりありがとう。自分を犠牲にして仕事をするものでもありませんし、あなたはその中で充分に務めてくださっていますよ。職員間でフォローし合いながら仕事が出来たら、あなたばかりに負担もいかないのだろうけれど、お一人おひとりに接する仕事量も配慮も神経を遣いますから、やはりストレスが溜まるばかりですね。
あの時のあの人のようにはなれないと、誰かと比べなくていいのよ。
ゆっくり休もう。勤務外でも、仕事のことを考えてしまうのではないですか?もっとこうすればよかったと、ひとり反省会をしておられると思いますが、自分に減点をするのではなく、頑張った部分もしっかり評価をね。自分を労って、心身をしっかり休ませてあげましょうね。
毎日、ありがとう。
許せないときもあるよね
豆れな様
こんばんは。
豆れなさんは優しさの欠片もないなんてことはないですよ、とても優しいです◎
なぜなら「明日こそは!」と思われて努力をし続けているからです。
不真面目でいい加減な方ほど開き直って努力をしませんからね。自分さえ良ければと思っています。
キャパオーバーで
疲れ気味の時、普段は気にならないことが気になったり、傷つきやすくなったりイライラします、私もです。
ですので、もしそのような状態になっても、ごく自然な心と身体の反応といえます。そういう時に
「無理矢理、気にしないようにしよう」としたり
「思い出したくないことを頭から離そう」
とすると、ますますそのことで頭が一杯になってしまうので、「今は心身共にキツイ状態だからなぁ」と、豆れなさんの状態をただ受け入れてあげた方が受け止めるだけが楽になったりします。
そして「許せない」ですが、怒りは「二次感情」と言われているので、怒りが湧いてきたその根っこがきっとあるはずです。悲しみ、寂しさ、悔しさなどが主に代表として挙げられることが多いです。「許せない自分をどうにかしよう」とは思わずに
「どんな感情が許せないに繋がったのかな?」
に注目すると、豆れなさんはご自身の怒りの感情が紐解けたりもします。
例えばですが「職場のみんなは簡単そうに出来ているのに、出来ない私は情けないなぁ…」という風に振り返りをしてみる。
怒りの根っこを探す際のポイントとしては、頭の中だけで考えず、全て目に見えるようにノートに書き出してみることをオススメします。書き出すことは、頭の中の整理を手伝ってくれるので、頭の中だけで考えている時よりも遥かにスッキリして、整理が進むとも言われています。
ご自分の感情を見える形に書き出してあげてみてください。
誰かに見せるものでもないので、うまくまとめて書く必要はありません。
アドラーの言葉でも、
心が壊れる三大原因は「人の目の気にしすぎ」「承認欲求が強すぎ」「他人と比べすぎ」と言われますので、ノートに書き出しながら確認をしてみてくださいね。
いつか豆れなさんとZOOMでお会いしてみたいです。キャリアデザインも含めて豆れなさんとじっくりお話がしたいです。お会いできる日を楽しみにしています。
私たちは完璧を求めながらも完璧ではないのです
こんにちは。亀山純史と申します。
豆れなさんは、ご自身に対して、「やさしさの欠片もない私は、生きていてもいいのですか?」と、問いかけられておられますが、あなた自身、やさしさの欠片もないことなんてありませんよ。
私たちは喜怒哀楽の感情を持った生き物ですから、時には感情的になってしまうこともあります。あるいは感情的にならなくても、相手への配慮が不足していて、不適切な言動をしてしまうこともあります。そのため、「どうしてあのとき、あんな言動を取ってしまったんだろう。」と後悔することは、よくあることです。私だって、「どうしてあんな言動をやってしまったんだろう。」と、本当に恥ずかしくなってしまうことも多々あります。さらには、親族の死に直面しては、もう取り返しがつかないことですから、自分の故人への言動に対して、後悔の念に苛まれるのです。
そのような人生において、私たちはどう生きていけばよいのでしょうか。勿論、こうすればよかった、ああすればよかった、と思うことは大切です。そして、次回はそうならないように努めていくことも大切でしょう。でも、そのとき考えてほしいことは、次回は同じ過ちをしてはいけないのだ、ということではない、ということです。どのような人も、「完璧を求めながらも完璧ではない」のです。これは決して妥協でも、甘えでもありません。「完璧ではない」ということは、私たちの本質だとも言えるでしょう。そして「人は完璧ではないのだ」という思考は、相手を許すことが出来る人にあなたを育て上げてくれるのです。
以上が、私からの回答です。少しでも私の回答がお役に立てれば幸いです。
質問者からのお礼
お坊様からこんなにも優しいお言葉を頂けるなんて思ってもいませんでした
確かに他の職員と比べてしまう自分、休みの日でも仕事の事を考えてしまう自分がいます。今の自分はキャパオーバーしています。朝が来るのが怖いです
完璧を求める自分もいます。そして自分の身体を傷つけてキツク対応してしまった人の痛みを身をもって知らなければと思っています。
だけど今回のお坊様方のお言葉を胸に秘めて日々を暮らしていきます
こんな弱虫な私に身に染みるお言葉ありがとうございます。