幸せ恐怖症?
私は高校生の時に鬱と診断されカウンセリングにずっと通っているものです。
私は幸せになるのが怖いんだと最近気づきました。
幸せになると感じると自らそれを壊してしまいます。
このまま不幸でいたいと思っています。
その方が慣れていて楽だからです。
でも本当は誰よりも幸せにならたいのかなとも思います。
幸せの受け入れ方を私はわからないんです。壊れるものが恐いんです。
どうしたらいいでしょうか、私じゃない第三者の方の意見が欲しいんです。
すみません
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大切なことに気づかれましたね、幾つもの心があるのは自然です。
自分の心に気づくというのはとても大切な事だと感じます。幾つもの心があるのは自然です。きっと今まで、自分を大事に出来ていなかった面があると気づかれたと思うのです。でももっと大事にしたいなと分かっているから質問してくれたと思うんです。
慣れないことは、すぐにはできません。今自分がどんな時に幸せを感じるか、観察して下さい。そして、少しずつそれを受け入れる自分を許してあげて下さい。そして、やっぱり幸せを受け入れられない事もあると思う。その時、自分を否定したりやっぱりだめと思ったとしても、そういう自分も許してあげて下さい。ジャッジせず、ただ観察するのです。
そして、少しずつ自分を大事にしていけばいい。幸せを受け入れる自分も、受け入れない自分も両方あなたです。完全に幸せを受け入れている人なんて、もしかしたらいないのかもしれない。少しずつ幸せを受け入れていける自分を増やしていけばいいのではないでしょうか?そして半分くらい?もしかしたら10回に一回でも幸せを受け入れられる様になったら立派な物だと思ってもいいのかもしれませんよ。
焦らずに。
幸せを受け入れると何が壊れると感じていますか?幸せをどういうイメージとして感じていますか?あなたにとって幸せとはどういう事でしょう?もう少し聞いてみたいです。
幸せというものを人と比べてイメージしていませんか?確固たる幸せの形があってそれを得たら幸せという風に…保育園児の頃は幸せの概念を知りませんでしたよね?でも幸せの概念を知らなくても、幸せを感じていたのだと思います。大人になると私たちは囚われていきます。仏教では、一定の幸せに執着することの問題性を説きます。例えば私の友人に盲目の僧侶の方がいます。彼は目さえ見えたら幸せになれるのに、と自分を徹底的に恨んだそうです。ところが、ある先生に、君は世間の競争に参加するために生まれてきたのではない、勝とうが負けようが生きていることを願われているのでしょう?と言われ、今の自分を受け入れられなければ例え目が見えるようになっても、あれが足りないこれが足りないと言って一生嘆き続けると気づき、目が見えないままに自分の人生を大切に生きようと決意されたそうです。字数制限があるのでこの辺で失礼します。またいつでも蓮の葉に質問してください。
【おすすめの本】『私とは何か(平野啓一郎)』『人間といういのちの相 第3巻』
質問者からのお礼
少しずつ、幸せを拒まないよう心がけてみようと思います。それから自分にもう少し優しくなろうと思います。私も私に優しくされたいと思ったので
本当に今回はありがとうございます。