母を病気で亡くし毎日が寂しくて辛いです
病気で闘病中だった最愛の母が天国へ旅立ちました。治る見込みが無い難病だった為心の準備をしていましたが先日容態が急変しそのまま帰らぬ人となってしまいました。まだまだ人生これからという歳なのに、好きで続けていた趣味などを闘病の為に諦めなくてはならず、気落ちしていた姿を思い浮かべるだけで涙が止まりません。しっかりしていて優しくていつも頼りになる自慢の母でした。これからの私の人生に母の姿はもういないと考えてしまうと悲しい気持ちで心がいっぱいになってしまい、何をしても「悲しい」「寂しい」と思ってしまい泣いてしまいます。これから先の自分に結婚などの嬉しいことや楽しい未来があったとしても、それを一番に報告したいと思える私の母はもういません。毎日が悲しく、生きていたくないなと思う様にもなってしまいとてもつらいです。自分が後を追って死んだとしても母はそれを喜ばない、頑張って生きてくしかない、勿論それは分かっています、でもただただ何をしてもつらいんです。容態が急変する前にもっと沢山話しておきたかった、お花見にも連れて行ってあげたかったなどの後悔が消えて無くならず、できる時にそれをしてあげられなかった後悔がどんどん大きくなってきます。気持ちの整理もできません。何をどうすればいいのかも分からず書き込んでしまいましたがどのようにすれば気持ちの整理ができますでしょうか?
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亡きお母様が望むことに思いを馳せては?
お母様のご逝去謹んでお悔やみ申し上げます。難病との闘病を余儀なくされ、ご本人も大変お辛かったことと思います。また、それを見守る みなほ さんもさぞかしお辛かったでしょう。
何をどうすれば良いのかわからないとのことですが、力を振り絞ってhasunohaに書き込んでくださったのだと思います。ご質問くださりありがとうございました。
とにかくお伝えしたいのは、今は無理をせず、ご自身のお気持ちと向き合っていただきたいということです。何も手につかないのは、最愛の存在を亡くされたのですから、それは当然のことです。もしできたらお考えいただきたいのは、後悔の念にさいなまれるのも、おつらいのも、それだけお母様の存在が大きかったことのあらわれであるということです。
いつか「少しでも前も向いて歩もう」というお気持ちになるまで、お母様との思い出をひとつひとつ紐解いて、あらためてご自身のお心に大切にしまい込む作業をなさっては如何でしょうか?それが悲しみを乗り越える大きな糧となるはずです。
さらに付け加えるとすれば、亡くなられたお母様にとって、「みなほさんがどんな状態であれば喜んでくださるか」をお考えになっては如何でしょうか?少しでも早く、みなほさんに笑顔になり、幸せな生活を送ってくださることを望んでおられるのではないでしょうか?
大切な方を亡くした方のお気持ちは、刻一刻と変わっていくものです。どうぞ、またこのhasunohaに、その時のお気持ちを率直にお書きください。書くことによっても、ご自身のお気持ちと向き合うことにつながります。
何よりも、まずはお疲れであるご自身の身体と心を労わってあげてくださいね。