夢を叶えたいのに矛盾した自分が憎いです。
わたしにはクリエイティブデザイナーになるとゆう大きな夢があります。社会人になり5年が経ち、広告代理店で4年、自己のスキルアップとして企業のデザイナーへ転職し、1年になります。
日々自分のベストを尽くす姿勢で挑むことを決め、死ぬ気で働いてきました。ですが、頑張った報いは、他者からあったか、なかったか、半分半分だったように思います。自分の中では、いい経験だったと思うことがほとんどで感謝の気持ちが多くあります。わたしの夢ですから、他者からの報酬は望んでおりませんが、他者評価が必要な窮屈な世界だと都度悩んでしまいます。
また、頑張った分だけ、信じた分だけ、絶望があるように思います。その時が次へ行け、とゆう知らせなのかとも思っています。
夢を叶えるまで、後何回絶望するのだろう、と毎日緊張しています。
考えるのに疲れたのか、最近では、バッテリーが切れたかのように、自分はだれだろうと問いかけることが多いです。
現在、仕事ではリーダー職をしているため、自分の心を押さえつけること、未来への不安、が多く、消えてしまいたい、でもわたしは叶えたい夢がある、と不安定な日々が苦しいです。
周りには夢があっていいな、だったり向上心がある、どうしてそんなに頑張れる?と言われます。また、今の職場に入社できて、早速立場をいただけたことに両親は喜んでおり、親孝行できたかなと思いながらも、心は晴れません。
頑張れたのは、転職直後の周りからの軽いパワハラもあり、負けられないと食いしばってきました。前の会社での経験と同僚や上司のがんばれの声も、わたしの原動力になりました。大学の時に亡くなった祖母を想うと後悔が多く、わたしの今を祖母に知らせることはできませんが、デザイナーになり、高校からの変わらない夢を叶えたよ、と伝えたい、とゆうのもわたしの原動力になっています。
今、わたしは圧力とプレッシャーも重くのしかかっています。
夢を叶えるには多くの試練があり、乗り越えなければなりません。わかっているのに、自分の甘えなのか、つかれているのか、わからずまた優等生と言われる作った自分で日々過ごします。
矛盾な気持ちで真っ暗な細い道を踏み外さないように、歩き続けています。
だれにも言えない苦しさを、ここに書かせていただきました。具体的な相談になっておりませんが、お言葉いただけたら、幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
色々な自分がいる。一つに縛られなくていい。
人の評価を気にしなければならない世界で大変だと思います。苦しいですね。夢を叶えたいと思っているけど、毎日緊張し、矛盾した気持ちを抱えているのですね。文章を読んでいると、あなたの思う成功への道を踏み外さないように緊張して生きてこられた感じがします。
仏教的に言えば、確固たる変わらない自分はいません。世間のレベルで見ればあなたは素晴らしいデザイナーであり、夢を追いかける人でしょう。仏教はそれを肯定も否定もしません。人間の命のレベルで見れば、どんなあなたでも尊いのです。なぜなら生かされているから。働く事は、本来、自分を幸せにするためにするはず。働く事の為に自分が居るのではない。もっと言えば、働く事は生きる事の条件ではありません。一番大事なのは、あなたが生き生きと生きられる事です。頑張れていることが実はすごい事です。
確固たる自分を作ることに努力してこられた、どれだけそれを追いかけられてもいいのですが、仏教では諸法無我・諸行無常といって、確固たる私などいないのだと考えます。一流のデザイナーになって成功したいと思っているあなたもあなただし、疲れている・辛いと考えているあなたもあなたで、両方大事。世間の価値観で言えば、「デザイナ―に向けて頑張っている」自分にこそ価値があると考えますが、そこにだけ執着していると辛いです。疲れていると感じている自分の声にも耳を傾けて。
エリクソンという心理学者はライフサイクル論で有名です。青年期の時代は価値観を作っては壊し作っては壊しする時代だそうです。だからこそ揺れ動く。今青年期は40歳位まで続くと言われる。あなたはもしかしたら次の成長の段階に入っているのかもしれません。今までは、ひたすらに一流のデザイナー目指していたけど、それと少し違う領域にも大事なことがあると感じ始めているのでは?例えば健康を大事にするとか、仕事のバランスとか。もしかしたら今まで思ってたデザイナーとは少し違うやり方であなたらしいデザイナーのあり方を模索する時が来ている、成長の段階なのかもしれません。今危機にあるのかもしれませんが、危機は何かを教え成長させてくれる機会にもなります。自分の夢もあなたが健康を崩してしまえば、元も子もないですから。周りの期待に応えようとしすぎず、まずあなたを大事にして欲しいです。【おすすめの本】モヤモヤの正体(尹)、私とは何か(平野啓一郎)
無人島で木登りをする楽しさを味わう
拝見いたしました。
他者評価が大切なお仕事は大変ですよね。私もその気持ちは理解できます。
ですがその中で無くしてはいけない考え方があります。
それは自分の上達をフィードバックとして得ることです。
小さな成功を
無人島で木登りをするようなものです。
四苦八苦しながら木に登れたとしても、誰も褒めてはくれません。
ですがその中で課題を見つけるはずです。
「足を使えばもっと早く登れるか?」「体幹を鍛えればスムーズに登れるかも!」
そして試行錯誤し、より上手に木が登れたとします。
また誰も見ていないので評価もされないでしょう。
ですが、攻略したことによる自己成長を楽しめるはずです。そしてさらに背の高い木を見つけて挑戦し…というポジティブなループです。
しかしここで評価されたらどうでしょう。
評価されたいがために登りやすそうな木を選び、いつまで経っても自己成長ができません。
そうなると本来の自己成長の楽しさを忘れてしまいます。
他者評価が大切なことはもちろんです。
ですが本人が上達しているかどうか、小さな差異を覚知できるかが肝要です。
素晴らしい研究者ほど、小さな発見を楽しみにしています。
慣れてきた人ほど、小さな発見を蔑ろにしてしまいます。
この差は大きいです。
人にはよりますが、あなたのようなタイプは結局仕事は楽しいから続けられます。
他者にその楽しさを委ねるのではなく、自分の中で楽しさを見出せる力を再び思い出すことをお勧めします。
追記:
絶望は希望がある者のみにやってきます。
希望の大きさによって絶望の大きさも変わります。
辛いのであれば、希望のスケールを変えるとちょうどよく頑張ることができます。
希望がない人生は気楽ですが起伏はありません。
楽しい人生にしたければ、ちょうど良い起伏感を選んではいかがでしょうか。
質問者からのお礼
お言葉、ありがとうございました。読んでいたら、涙が溢れました。
1週間かけていただいたお言葉を自分の中で噛み砕きました。
今まで一人で納得いくまで努力する、まだまだだ、まだまだわたしには足りない!と走ってきて、以前は冷たかった周囲が、わたしの結果をみて喜んでくれたり認めてくれた。振り返ると、幸せに思います。
だけど、ここにきてそのことに満足してしまい、自分で楽しむことを忘れてしまっていました。
無人島で木登りをする、青年期の自分の価値を壊し挑戦していく、絶望を恐れず希望を信じる…
まだ、こわい気持ちがあります、それも自分。自分の今を認め、今を楽しみ、自分を信じて、歩いて行きます。
本当にありがとうございました。