亡くなった娘に会いたいです
私の生き甲斐だった娘が突然死で亡くなりました。
まだ17才でした。
娘に会いたくて会いたくて仕方ありません。
時々夢に出てきてくれます。そんなときはこのまま一生眠っていたいといつも思います。
私が死んだ時
娘に会えるのでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お子さんと共に生きる。お子さんと共に歩む。
おはようございます。亀山純史と申します。
私も3年前の2月に、一人息子を突然死で亡くしました。あと2ヶ月ほどで二十歳を迎えるはずだったのですが、叶わぬ夢となってしまいました。その当時以前から、このハスノハでは回答をさせていただいておりましたが、息子が亡くなってからは、しばらく回答をすることが出来ない状態が続いておりました。しかし、(回答数は依然として多くはありませんが、)現在はこのハスノハで、再び回答させていただいております。
このような私から言えることは、「お子さんの死を無駄にしないこと」そして、「あなた自身、どう生きたら、お子さんは喜んでくれるのか」という問いかけのもとで、あなた自身、生きることが大切だということです。このような生き方は、お子さんと共に生きる、お子さんと共に歩む生き方です。
私にとって「息子の死を無駄にしないこと」そして「私自身、どう生きたら、息子は喜んでくれるのか」とは、平安朝の女流歌人の和泉式部が、幼い我が子の死を悼んで詠んだ句「夢の世に あだにはかなき 身を知れと 教えて帰る 子は知識なり」(幼くして逝ってしまった我が子は、この私にこの世の無常なることを教えるために、生まれ、そして死んでいった仏さまだったのだ。)のように、息子の死から無常を知り、そのことを教えてくれた息子を仏様として敬っていくことでした。そうして、朝夕に仏壇を前にお参りするところに、息子は戻って来てくれています。
悲しみはいつになっても消えることはないでしょう。しかし、少しでも、この私からの回答がお役に立てれば幸いです。
娘さんがどこにゆかれたかを知って
こんにちは、初めまして。
まずは、お悔やみ申し上げます。
お力を落としておいででしょう。
「時々夢に出てきてくれます。そんなときはこのまま一生眠っていたい」という一文に、あなたが切実に娘さんを想われるお気持ちが凝縮しています。深い悲しみと苦しみでしょう。お察し致します。
さて、とても短い文章でのご質問なので、あなたのご宗旨などは分かりませんが、浄土真宗の僧侶として回答させて頂きます。
「私が死んだ時娘に会えるのでしょうか」というご質問ですね。
このご質問が、極楽で会えるかというご質問の意図でしたら、これはあなた次第であるというお答えになります。
あなたのお気持ちを第一に考えるならば、会えますよ、と回答することがお気持ちを安心させる意味では最上でしょう。しかし、仏教はあくまでお釈迦様伝統の教えなので、教えを第一にあなたに伝える必要性がある為、正確なところをお伝えしました。
私達の宗旨では、とにかく極楽浄土の主である阿弥陀如来様のお心をとにかく聞いて、聞いて、聞き続けなさいと教えられます。どんな方が自分を、故人を極楽へお連れくださるのか、それはどういう道筋によって連れられていくのかを知る必要があるからです。
阿弥陀様は、全ての人を極楽浄土へ連れゆこう、そして再び出会わせようと仰っています。
娘さんがゆかれた極楽浄土とお考えならば、どんなところに往かれたのか、どんな所で再び見え手を取り合えるのか、その道筋を聞いてゆかれませんか。
良かったら私の法話を聞いていって下さい。
「浄土真宗とは」|浄土真宗のいろは 第001回
https://www.youtube.com/watch?v=14QKXhgPgkM&list=PLc6UK2ZHyUaHIMHzH7jNRqcgO9zJPbxC1