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夫にあいたくてたまらない

回答数回答 4
有り難し有り難し 17

何度か同じ内容で投稿しています
昨年夫の3回忌をすませました
どんどん夫にあいたいという気持ちが増してどうしようもありません

毎日毎日泣いて過ごしております
遺影に向かって何故私を一人おいていったの?
どうして一緒に連れて行ってくれなかったの?と
ずっと一緒にいたかったのに・・・と
今もPC打ちながら涙で画面が見えずらいです

先月も納骨堂へ逢いに行って来ました
そこでもいつも同じことを言ってきます
夫の闘病中の事など思い出し一日中泣いてる毎日です

夢でもいいから夫にあいたい
夫のもとへ行きたい気持ちです
こんな毎日をすごしております
どうしたらいいものでしょう・・・
お願いします

2025年1月3日 10:04

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

思い出せることは沢山あるでしょう

 こんにちは。今までの問いかけも拝読させていただきました。「答えは返ってきませんが…」という言葉が何度か見られましたが、あなたであればきっと「夫はこう応えてくれるだろう」という想像はすることができるのではないでしょうか。
 なぜ、それができるか?と言えば、それまで共に重ねてきた人生の物語があったからです。闘病中のことは、それはそれは大変であったろうと思いますが、それ以前には様々な「共に過ごした時間」があったはずです。
 日記を開くように、それらの思い出を文字にして、言葉にして出してみませんか。誰が読むとも限りませんが、少なくとも「私はこんな人生を送ってきた」というのがあなたの頭の中だけでなく、文字として表現されることは、きっとあなたの癒やしに繋がると思います。前回の問いの答えで「遺族会で、それぞれの思いを語って頂く」という活動を目にされたと思いますが、自分の人生を語ることや、他人の人生を聞かせて頂くことは、確かに生きていく上での支えになることがあるのです。
 ですから、色んな方の闘病記や私小説的な物を手に取るのもよいと思います。そういった多くの方の人生物語にふれることで、あなたとご主人との物語もまた輝いていることに気づかれると思います。
 そして、書いた日記は、お浄土へ持って生きましょうよ。一緒に棺に入れてもらい、あちらで再会したら見せてあげる。あなたの言ってくれた「俺の分まで生きて」は、こうなったのよ。こんなことがあったの。今はこんな気持ちなの。それを言葉にすることは、一緒に生きていた人生の素晴らしさを、そしてその後の人生を精一杯生きてきたことを証明するものとなります。
 形はいずれにせよ、ご自身の人生をアウトプットする。それを自分でも読み返す。その中で「いのち」ということ、「なむあみだぶつ」がなぜ今まで多くの人を救ってきたのか、それで救われてきた人たちの多さを、きっと実感できるだろうと思います。
 末筆ながら、私からもご主人様のご冥福をお祈り申し上げます。

2025年1月3日 14:40
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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

かおたん 様 

もう回答があり、お礼もされておられますが
遅ればせながら、一言だけお伝えさせていただきます。
もし、逆の立場だったら
あなたはご主人にどんな言葉を残しているでしょうか?
そして、あなたは独りになったご主人にどんな状態で、
その後を生きて欲しいと思うでしょうか?

少し酷な質問かもしれませんが、
ご夫婦の絆を確かめる上でも考えてみてください。
別にずっと泣いていてもいいんです。
会いたいと思い続けていていいんです。
それが自然な思いなのですから。
そんな自分を責めなくていいのです。
悲しみの形は十人十色、いろいろあっていいのです。

もしよろしければ私のお寺の公式ラインには
グリーフポストがあります。
ご主人への思いを投稿するだけで返信は来ません
(ご希望であれば、住職から返信が来ます)
思いを届けるだけですが、綴ることには意味があるかもしれません。
宜しければご利用ください。

お節介な回答だったかもしれませんね。
失礼いたしました。
合掌礼拝

追伸:お礼メッセージありがとうございました。これからも遠慮なくどうぞお気持ちをお話しください。誰かに聴いてもらうことも必要な時があるのです。
孤独になったり、落ち込みそうだったりしても、ここがあると思っていただければ有難く思います。この度のご縁に感謝申し上げます。再礼

2025年1月4日 8:57
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有り難し
おきもち

個別相談可能
お寺の法務(法事などのご先祖の供養)と 唱題行・写経・法話・カウンセリング、コーチングなどで活動しています。 メールでの相談も受け付けています。hasunohaの回答後のフォローアップはメールで致しておりますので、メールでお問い合わせください。また面接でのカウンセリングセラピーをご希望の方もメールで連絡をお願いします。 honsyoji.sk@ddknet.ne.jp へどうぞ。
昼間は、ほとんど法務に出ておりますので、夜の応対になります。 できれば、事前にメールで相談内容を教えていただければ、スムーズなセッションになるように思います。 プライバシー、相談内容の守秘義務は遵守いたします。

お参りは携帯電話

 かおたんさん、私は位牌やお墓などの開眼供養とは、仏様や故人様が宿るのではなく、対話が出来るようになるプロバイダー契約 電話や携帯電話の契約と同じように考えて下さい お参りの時は仏様や故人様は返答してくれませんが、対話してください 
と法話しております
 先ずはそれが大前提で回答致します

あなたが連れ合いさんと話したいことを私に聞かせてください あなたと連れ合いさんの介護を私に聞かせてください

ココだけの話 今、辛いのはあなたが夫婦の愛のカタチがご存じだからですよ 幸せになる方法をご存じだからですよ
あなたは3回忌まで行えたのはあなたが連れ合いさんのことを大切に思っていただけではありません あなた自身が健康に気を付けて自己管理をして、法事が行える生活力があったお陰です
 あなた自身を大切にした結果なのです

ここからは私の思いを話します

あなたは連れ合いさんがお亡くなりになり、何処に行ったかご存じですか? 極楽浄土ですか?極楽浄土は何処にありますか?極楽浄土はあなたの供養する思いと行動の中にあります 故人様に戒名を授け、仏弟子の儀式をしたのは僧侶です しかし、故人様を仏様の一員にするのは我々僧侶ではありません あなたです 連れ合いさんの親類縁者です 僧侶はそのお手伝いをするのです
だから、あなたがいなくなると連れ合いさんも供養する人がいなくなり、仏様の一員では無くなってしまいます だから、供養は思い偲ぶ行動だけではありません あなたの修行なのです 

修行に終わりはありません だから 供養にも終わりはありません そのためにあなたが生活力を身に着け、健康管理を怠らず続けて下さい 連れ合いさんが何処か知らない場所に行かないように

私からは以上です
私の回答を参考にするか?しないか?はあなた次第です
 

2025年1月4日 21:42
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有り難し
おきもち

目指せ!となりのお坊さん あなたの小さな悩み相談お答えします  私があなたの悩みを解決するのではありません あなたの悩みを解決するお手伝いを私がするのです ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。
ここだけの話し  どんな些細な質問でも回答します! ・私の目指す僧侶は一休さんのようなちょい悪坊主です。時には常識にとらわれずとんでもないことを言いますが、しっかり受け止めて下さい。私もしっかりとあなたの質問を受け止めたいと思います。 ・先ずは30分からで、システムに慣れたら時間を延ばしたいと思います。

思い出していない時間もある

心は瞬間瞬間に変化するものです。
夫を思い出しているときは会いたくなる。
しかし、日常生活において夫を思い出していない瞬間というのは必ずあるはずです。
そうでなければ買い物や家事もできないはずなので。
法然上人は、「一人の人間の一日の中に八億四千の念がある」と言われました。
「念」とは心の時間の最小単位であり、24時間の心の映画は8億4千コマの場面(念)からできているのです。
「会いたい」という念が心にやってくる時間は確かにあるでしょう。
しかし、その念は必ず過ぎ去ります。
また、どんな映画もスクリーンを汚せはしません。
映画の映像が過ぎ去ればスクリーンは白い布に戻る。
「会いたい」という映画が心のスクリーンに流れてきても、それは必ず過ぎ去る映画だと思ってください。
六根(眼耳鼻舌身意)からの何らかの刺激に反応して「会いたい」という念が生じることもありますが、それは自然現象であり、別の刺激が入れば違う念が生じるものです。
日常生活において、意図的に別の刺激を入れるのも良いでしょう。
心は無常です。
心は瞬間ごとに新しいのです。
南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えて冥福を祈りつつ、浮かんでは消えていく念を放っておく感覚も意識してみましょう。

2025年1月3日 14:30
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

ありがとうございます
南無阿弥陀仏をとなえ冥福をいのります
色々お勉強させられます

ありがとうございます
そうですね日記のように文字を残し
夫にあえたら一緒に読みたいとおもいます

ありがとうございます
全然お節介ではありません
大変ありがたいです

いつも投稿する際書いているのですが夫は私の事どう思って逝ったのか
が気になっているとこです
すごく為になるお話でありがたく思っております
ありがとうございました

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