心配してもらいたい感情を消したいです
先日、生まれてはじめての手術を無事乗り越えました。
ここでお坊さんに応援していただいたことが、大きな励みになりました。
本当にありがとうございました。
以前もちょっとご相談したことではあるのですが、最近職場の人達に「心配されたい」という気持ちが強く、自分でも厄介で苦しんでいます。
理由ははっきりしていて、職場は贔屓にされる人・されない人がハッキリしていて、当然贔屓にされる人は何かあると皆から心配してもらえて、私のような人は、もっと酷い状況下にあっても心配してもらえない、ということが何度もあって不満が溜まっていたためです。
手術入院という事態になり、これで少しは皆から気にかけてもらえるかな…という浅はかな期待が心の隅にあったのですが、コロナの影響で私が本来シフトで入っていた曜日の一部は会社が休みになっており、たぶん私が入院したことすら気づかれてないと思います。
せっかく気にかけてもらえると思ったのに…
なんてことを考えてしまう自分がとても醜く思えて、みんな自分のことで精一杯なんだからいい大人がこんなこと考えるもんじゃない。と自らに言い聞かせているのですが、ふとした時にやっぱり不満で心が一杯になってしまいます。
「心配してもらいたい」と思う癖を直すには精神論だけじゃ難しいのでしょうか。
物理的にこの職場と距離を置く工夫をすれば、醜い感情から開放されるでしょうか。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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日頃からの関わりかな。関係性が密なのも、しんどい時あるよ。
なるほどねぇ〜
贔屓にされる人・されない人は、誰が基準なのかな?誰かの態度一つで、周りも心配していくの?
たとえば、あなたの態度はどう?
贔屓されている人を、あなたも一緒に心配してる?
あなたが、心配されたい と思うのは、会社のどの人に?みんなに?
心配というよりも、気にかけてもらえるのは、嬉しいことよね。自分から、どんどん密に伝えていけばいいんじゃないかしら。
知っていたら、周りも、あれからどう?大変だったね?と、そりゃ心配してくれる人もいると思うわ。
でも、それは、プライベートをオープンにすることでもあるわよ。(私は個人的には、弱い部分は言いたくないというか、周りの心配が気疲れするので、仕事上の付き合いだけで十分、中身で勝負)
贔屓、特別の待遇は、日頃からの関わりかなとも思います。可愛がられる人っているじゃない。愛嬌がある、仕事が出来る、ハキハキと返事がいい、気配りが出来る、など。
その点も、自分はどうかな〜って、見直してみない?



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