仏教かキリスト教か
はじめて投稿させていただきます。
私はミッションスクールでキリスト教に出会い、宗教についてもっと勉強したいと思いました。
教会にも行き、聖書も読んだりして、洗礼を受けようかと考えましたが、やっぱり実家の宗教(私の家は浄土宗です。実家がお寺と言うわけではないです)を大切にした方がいいかなと思い、最近は、阿弥陀さまに祈り、座禅をしています。
聖書も読んでいます。
しかし、問題があるのです。
聖書は、他の神は信じない方がよい。聖
書の神を信じなさいと教えているのです。
阿弥陀さまを信じながら、キリストも信じることは、わたしには出来そうもありません。どちらか一方を信じた方がいいと考えています。阿弥陀さまかキリスト、どちらがいいでしょうか。
カウンセラーには、どちらかに絞る必要はないと言われましたが、キリスト教と仏教どちらも信じていると、混乱してしまうのです。
ぜひ、僧侶の皆さんの知恵をお借りしたいです。
みなさん、どう思われますか?
とにかくものを買いたい。宗教グッズを買い漁りたい。本を買いたい。性欲。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
教養と選択
こんにちは、初めまして。
試行錯誤しておられるようです。
様々な宗教に触れてみることも、新しい発見があって新鮮でしょう。
特にお若い時は、色々なことを吸収していくのは大切なことだと思います。
キリスト教もいろいろな宗派があるでしょうし、一概には言えませんが、わが浄土真宗とプロテスタンティズムは類似性があると言われています。
「キリスト教と仏教どちらも信じていると、混乱してしまう」とのこと。
教養として様々な宗教を学ぶのは、教養として宜しいのでしょうが、いざ自分の血肉になる、人生の拠り所としてと考えていくと、どちらでも良いとはならないのだと思います。
特に、死後は明確に違うでしょう。
それは、死後に続く現在の価値観の違いでもあると思います。
つまり、現在と未来の価値観、拠り所は似ているようでもやはり違うと言わねばなりません。
とてもシンプルな考え方をお勧めします。
もし、諸行無常の自分の命が今、尽きんとするとするならばあなたを救うのは神様か阿弥陀如来様か、と考えるのです。
この先、命の猶予が平均寿命ぐらいまであると考えてじっくり考えていくことも必要ですが、それは本当に危機が来た時に案外間に合わない可能性もあります。
知識の集積、宗教の比較。
これも大切です。
でも、核心は一つの宗教を実際深く味わってみることです。
お味噌汁の成分表を説明する或いは少しだけ味見をすることと、お味噌汁をじっくり繰り返し味わうこととは別のことである、と表現すれば伝わるでしょうか。
ご自身のペースで、よい選択が出来ると良いですね。
ご参考まで。
質問者からのお礼
命尽きるとき、あなたは阿弥陀様か、神様をとるか・・・
その考えはありませんでした。
よく考えてみると、神様の方が、やはり自分には合っているかもしれません。
悠水さま、回答ありがとうございます。