仏教では予言をどう解釈?回答受付中
いつもお世話になっています。今ある予言がにわかに世間を騒がしていますが、仏教では予言というものをどう解釈しますか?重要視しますか?それとも迷信に近いものと解釈しますか?過去にノストラダムスの予言に恐怖を抱きましたが、結局何も起こりませんでした。それから私は予言とかはあまり信じなくなりました。10数年前もマヤの予言的なものも全く信じませんでした。案の定何も起こりませんでした。もちろん防災や災害への備えや心構えは普段から必要ですが、予言的なものをむやみやたらに信じるのは危険な気がします。その日にちを目安にしてしまうからです。災害はいつ起こるかわからないからです。そこで質問です。仏教では予言的なものをどう解釈しますか?また仏教自体、予言みたいな記述がありますか?お坊さんのお考えを聞かせてください。
お坊さんからの回答 1件
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基本的には、今を相手にしてます
はじめまして。私も子どもの頃は「ノストラダムスの〜」を大変恐ろしく感じていましたが、今はあまり気にしていません。近いのですと7月5日とか?
仏教の基本姿勢は「過去でも未来でもなく今」を相手にします。未来はまだ来ていないのですから。
ところが、私の所属する浄土宗は、「末法思想」の影響を受けています。教科書にも「鎌倉新仏教の土壌」みたいな文脈で出ていたことを覚えておられるかも知れません。
但しこちら、おそらくお釈迦様のお言葉の中にはなかったであろうと考えられるものの、長い仏教史の中では「比較的初期から、正しい教えがいずれ伝わらなくなる」という文言は見られるそうです。
これは、あなたのイメージする「予言」であるか分かりませんが、今でも「世も末だ」という言葉は聞かれますから、一般の間にも影響は残っていると思います。
仏教は、もっと確実な「私は老いてゆく。わたしはいずれ病にかかり、死んでゆく。それは自分には抗えないこと」と、こちらへの対応を訴えます。誰かが言ったから、ではなく自分の身に起きることが分かっているから、これらの問題に備えよ。優先順位をこちらに置いています。
7月5日に向けて備蓄品を増やすのは悪いと思いませんが、焦点は「そんなことが起きた時、いかに人間らしくいられるか」を準備するべきではないでしょうか。