全てが苦痛に回帰する
最近、物事を悲観的に見ることがとても多くなってきたことに悩みつづけています。
なんというか、万象が自身の苦痛に回帰するという感覚が続き、他人との会話や自分の趣味が無理な延命処置に過ぎないのではという思いが頭から離れません。
自身がそう思う理由として2つの事を考えてます。
一つは、大学で様々な考え方や価値観を学び様々な固定観念を粉砕しようとした結果、絶対視できるものがほとんど無くなってしまったこと。
もう一つは、幸福を求めるということを積極的にしてこなかったあまり、自身が苦痛や試練を耐えてまで生きる理由が思いつかなくなったことです。
自分は、今世間で言うところの就活生ではあるのですが、就労意欲が殆どありません。
一応、趣味で絵を描いているのですが、「これを理由に生という呪いを凌ぐにはあまりにも忍びない」と思いつめ。
両親からは、「生きる理由や幸福が見つかるまで生きればいいじゃん」というアドバイスをもらったのですが、その言葉すら、親心が故に自分を現世に引き留めようとする詭弁に聞こえてくるありさまです。
世間は、自分を怠惰だ落ちこぼれだと罵るでしょうが、そうした罵声すら、「オマエもこっちにきて今生の続く限り苦しめばいいんだ」という僻みと思いこむばかりです。
正直、何でここで悩みを打ち明けているかも自分でよく分かってないです。
おそらくは、まだ無意識で助かりたい、死にたくない、幸せになりたい、と思っているのかなと思います。
でも、そろそろ限界が来そうです。張り詰めた命の糸が、そろそろ切れそうです。
つらいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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ご質問ありがとうございます。
今就活中ですか。コロナで大変らしいですね。
生き方とか生きる理由とかは人それぞれですよね。積極的に私はこれをやりたいと思ってそれに向かってひたむきに頑張るのもいいし、反対に、微力な私を必要としている人がいるならその為に私にできることをやりますという生き方もいいですよね。
私は後者だったかな。いろんな分野の会社に何社も面接に行って最初に採用通知が届いた会社に就職しました。必要としてくれているようで嬉しかったな。
仏教はお経を読んだりするだけでは机上の空論のままです。坐禅や持戒や利他行など行動することによって机上の空論だったものがようやくなんとなく分かってきたりします。
生きる理由なども考えるだけでは答えが見つからないのかもしれないですね。学生の時に考えたり悩んだりして、何か仕事をしてみて初めて見えてくるものがある。そんな気がします。
あなたの見失っているあなたの幸福が見つかるといいな。
質問者からのお礼
ご相談にのっていただきありがとうございます
長く返信できず申し訳ないです。
あれから両親と色々話したり、自身が読んでいた哲学の本などを勧めたりしたことで、両親と自身の悩みを多少なりとも共有することができました。
返信内容を見て、今悩んでいる状況や、辛うじて残っている命の残り火を守ろうとすることというのは悩みの薄い方に比べればひん曲がってはいるけど、それでも人生の道標にはなりうるかな、と思えるようになりました
生きる性根が尽きかけていた中で、お坊様のお言葉で辛うじて死に飛び込むことを踏みとどまれたことを心より感謝いたします