大学を留年しかけています
既に一度留年している大学生です。課題や授業を面倒だからとサボり、再び留年しそうです。何で自分は学習しないのでしょうか。反省や罪悪感も自分の中にありません。
望んで進学した大学のはずなのにモチベーションも全くありません。それどころか、自分より学歴の低い人を内心蔑む有り様です。
このまま社会に出てまともに働けるはずもなく、親に高い学費を払わせ続けるならいっそ消えてしまいたいです。悪いものだけで構成されている自分は死ぬ以外に変わることがあるのでしょうか?
人並みの努力すらしない。サボっていることに罪悪感を抱かない。恒常的に嫌なことから逃げる。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
変わりゆく自分を訪ね続ける道。回答僧団が伴走します。
いつきさま、はじめまして。
ご質問有難うございます。ご参考までに回答を失礼します。
高校までは、「授業だるいな、さぼりたいな」と思っても担任の先生や生活指導の先生が許してくれないんですよね。呼び出されてめちゃくちゃ怒られます。
大学からは、授業を流しても、さぼっても叱ってくれる人がいなくなります。「あなたが困ることになるでしょうけどご自由にどうぞ」となります。単位が当然得られません。「ああ、なるほど、高校のようにはいかないんだな」と思ったことは今でも覚えています。面倒でしたけど高校の先生の有難さをその時に感じました。いやはや自由度が高いゆえに、どこまでも手を抜けるのが大学です。その割に関門科目をひとつでも落とすと簡単に情け容赦なく留年する厳しさがあります。
最後の文に「このまま社会に出てまともに働けるはずもなく、親に高い学費を払わせ続けるならいっそ消えてしまいたいです」「悪いものだけで構成されている自分は死ぬ以外に変わることがあるのか。」
痛切な問いと受け止めさせていただきました。
ここに相談に来られたということは変わりたいということでしょう。仏教には「諸行無常」という真理があり、あらゆるものは生滅変化を繰り返して常なるものはないと言われます。いつき様の心も体も変化し続けます。思い通りに思うがままに変わるわけではありませんが、死なずとも変わります。大丈夫です。変わります。
どうでしょう。hasunohaで定期的にその時の状態や思いを吐露しながら変化を訪ねる道を歩んでみたらよろしいのではないでしょうか。僧侶の集団がいつき様の横で伴走しますよ。
最後に、少しだけお伝えしておきますと、私が親として、子どもたちがお腹に宿ったときに思ったのは無事に産まれてほしい。ただそれだけでした。子どもたちがいくつになろうとも、かえがきかない命です。消えてしまうくらいなら、大学なんてやめてしまいなさい。心からそう思います。
いつき様の親御さまがどうお考えになるかはわかりませんが、このような視点もあることをお伝えしておきますね。
ご参考になれば幸いです。またどうぞお尋ねくださいね。
質問者からのお礼
このような私に優しいお言葉をありがとうございます。まだ両親には言い出せておらず、学費を稼いで大学に残るか、退学することになるか、人生から逃げるのか、決めることを避けている状態です。
またどうしようもなくなったときに頼らせていただくかもしれません。