「欲」との向き合い方が分かりません。
いつもお世話になっています。
タイトルの通り、欲とどう付き合うべきなのか、より正確には「無欲」とどう対峙すれば良いのか悩んでいます。
私は基本的に、様々な物・事に対する欲や執着が薄い傾向にあります。
物欲はもちろん、金銭や名誉への執着も大してなく、娯楽や趣味も没頭するほど興味の強いものが特にありません。
人間である以上、欲が皆無という事は有り得ませんし、あくまで「欲が薄い」のだろうと自身では思っていますが、実際それを周囲から指摘される事がたびたびあります。
例えば物欲ですが、生活必需品(消耗品)以外の物について「どうしても欲しくて堪らない」と感じる事がほとんどなく、自ら買いに出かけるような事はまずありません。
流行に疎く、新しい物・珍しい物への関心も薄いです。
毎年誕生日にプレゼント交換をする友人がいますが、これと言って欲しい物も思いつかず「じゃあこれ適当に使って」と仕方なく現金でもらった経験さえあります。
しかし、そのお金に関しても「欲しい物、したい事があって貯めている」わけではなく、「使う予定がなく必然的に貯金に回っている」状態です。
他にも、人と会ったり遊んだりする際、行きたい場所、したい事がパッと浮かばず、基本的にプランは相手任せです。
(表現が適切か定かでありませんが) 「意見がないに等しい」ので、仮にどこで何をする事になっても、それを苦に感じたり嫌に思ったりは特にありません。
ですが周りからは「それで本当に楽しめてるの?」と逆に疑われる事があります。
また、私はどちらかと言うと「〜したい」より「〜したくない」という欲が強いです。
自身の経験上(※詳細は過去の質問をご参照願います)、常に思考の根本に「周りを巻き込みたくない」考えがあり、結果的に「相手に合わせる」、より正確には「相手任せ」という展開が大半です。
自分自身に関しても、「今以下にはなりたくない」、強いて肯定形にするなら「せめて現状維持でいたい」です。
欲の無さは同時に自信や向上心の無さだと聞きますが、やはり欲が薄いのは総じて良くないのでしょうか。
欲の薄い自分はまともに自己主張すらできない弱い人間という事なのでしょうか。
欲が薄い事は「恥ずべき」事、「改めるべき」事に当たりますか。そうである場合、それを直していくためにどのような事を心がけていくべきか教えて頂きたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
これでいいという満たされたものがちゃんとあるのだと思います。
いいと思いますよ◎
欲が薄いというよりは、これでいいという満たされたものがちゃんとあるのだと思います。
ある意味、究極の形。
例えば、人は周りの環境.人に影響されるものです。社会や友達など周りの情報から、流行なども入ってきます。
そのときに、いいね、羨ましい、ずるい、私も、絶対に欲しい、と欲のバロメーターが動きます。
周りの反応に、いいね〜と共感したり、合わせられるのであれば、うまく付き合っていけます。
でも、私はそれほど、いいな〜私も〜とは思わないけれどね。と。
それはそれで、好みもあるし、何を大切.必要とするかの価値観の違いもあるのですもの。
他を認め合えるのであれば、欲まで出てこなくてもOKなのよ。
あなたは、物持ちが良いんじゃないかしら。
長く大切に出来る人◎
感情も、表情がコロコロ変わる人もいれば、静かに感情を表す人もいるしね。
人それぞれであって、あなたが楽しめたのであればOKよ。
これから先、社会人として社風に合わせたり、恋人のためにオシャレを取り入れたり、
コスメも消耗品だから 無くなれば新しいものが必要になる。そんなときに、どうしても欲しいわけじゃなくても、自分を変えたいってときにも、欲はプラスにもなるわ◎
いろんなタイプの人がいるから、人間関係はバランスが保てる。
それが、あなたの良さなんじゃないかしら。
もし、欲のある人を羨ましいと思うなら、真似て見るのもいいね。知らなかった喜びが、そこにあるかもしれない。
でも、別に何も思わなかったら、今がちゃんと満たされている証拠ですよ◎
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
お礼が大変遅くなり申し訳ありません。
欲が薄いのは今が満たされている証拠、自分には全くなかった考え方でした。
無理に欲を持とうとする必要はないと分かり、少し安心できました。
まずはその「今が満たされている」という事に対する感謝を忘れず、合わせて周囲へ意識を向けてみるという事を少しずつ実践できればと思います。
お忙しい中、ご回答頂きありがとうございました。