寂しいのに、人が怖いです
はじめまして、あきらと申します。
長文ですがお許しください。
数年前のことです。モラハラをする父親と同じ思考回路が私の中にあること、そしてそれがたまに顔を出していることに気が付きました。
それ以来、「父と同じような言動」をとってしまうことの無いよう神経を張り巡らせ続けてきたのですが、「もしかしたら無自覚のうちに相手をなじっているかもしれない」といった恐怖心や、うまくコントロールできなかったときの自己嫌悪感などが増し続け、今現在友人はおろか家族とも距離を置いてしまっています。
自ら距離を置いているというのに、募る孤独感に押しつぶされそうになることが多々あります。この孤独感は自分を律する努力をしなくて済むことへの対価だ、と言い聞かせても何も変えられませんでした。
それならいっそ人と関わってみようと思うときもありますが、やはり自分の言動により相手の心や人生を損なってしまうことへの恐怖に射すくめられ、結局閉じこもることを選んでしまいます。
我ながら独善的だし、拗らせていると思います。
私は人と健全に関わりたいです。誰かと楽しく笑いあいたいです。
解決のためには何をしたらいいのか、どこから手をつけたらいいのか分からず、毎日苦しいです。
お叱りの言葉でも構いません。どうか、何か教えて頂けたらと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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モラハラとは何かを知ること
相談文を整理します。
数年前、相談者様は自分の中にモラハラ思考があると気づいた。以来、父と同じような言動をしないよう注意している。
気をつけることはできても、その思考回路まではなくせない。そのため、表に出てこぬよう厳重に監視している。それが今は大きな負担になっている。本当に辛い。しかし、それでも監視することはやめられない。自己嫌悪や恐怖心を減らすため、家族や友人と距離を置くという行動を選択した。
閉じこもることで得られたわずかな安心。その引き換えに失ったものが今度は相談者様を悩ませる。孤独感だ。
健全に関わり合いたい。楽しく笑いあいたい。しかし、「関わるな!」と、モラハラを嫌悪し恐れるもう一人の自分がいて、それに待ったをかけている。
自己嫌悪と孤独感。今度は両方がタッグを組んで自分を悩ませてきた。自己防衛心と孤独感の両方に引っ張られて辛い。モラハラによって受けた傷が広がっている。
ここからは私の意見です。
まず、そもそもモラハラに関して被害者である相談者様を誰も責めることはできません。相談者様は手を尽くして今の状況があるのだと思います。
相談者様も薄々感じておられる通り、長い戦いになるでしょう。今は今の状況でやれることを相談者様は探しておられるのですね。
私はハラスメントの専門家ではないので、素人なりに思いついたことを紹介したいと思います。
まずは長期的な方針として、
①モラハラとは何かを考え続けること
②人と関わる勇気をもつこと
③そこから学び続けること
が重要であると感じました。
その上で「どう人と関わるのか」ですが、これは本当に素人のアイデアなので読み飛ばしても全然かまわないのですが。
「モラハラプレイ」だったと口にするのはどうでしょうか。
(これってモラハラだな…)
「…という、モラハラプレイでした!ちゃんちゃん!汗」
あくまで「プレイ」です。
遊びです。
全く根拠のないアイデアではありません。仏教の経典には、「さとりを求める菩薩は《遊戯》のごとく衆生を教化する」という一説があります。
子どもも遊ぶことで大切なことを学びます。自分のモラハラ思考を受け入れつつ、相手を傷つけない方法の一つとして、参考になれば幸いです。
質問者からのお礼
ご回答いただき、ありがとうございます。お礼が遅くなってしまい申し訳ありません。
教えていただいた「モラハラプレイ」、早速試してみようと思います。
この方法なら、モラハラ行動に対する嫌悪や恐怖心等に気負いなく向き合えそうです。
長期的な戦いであっても『遊戯のごとく』を心に留めながら、じっくり向き合っていこうと思います。
いつかその中で、人と関わる勇気も見いだせたらと思います。
最後に、「誰も責めることはできない」というお言葉をいただいて、少し肩の荷がおりた思いです。
私も私自身を責めるのを止められるよう、学び続けていこうと思います。
本当にありがとうございました。