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死にたいです。

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有り難し有り難し 15

人生が苦痛で、毎日のように死にたいと思っています。
死ぬことで楽になれると思っています。

ただ、自殺すると親や知人等が悲しみます。また、自殺はさらなる苦しみが待っているとも言われています。

死ぬことも生きることもできない私はどうすればよいのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人生とはまさに「苦」です

貴方はお釈迦様が出家をされる前と同じことをおっしゃっていますね。「人生とは苦である。」これはお釈迦様が説いた第一の真理です。そしてお釈迦様はそれが原因で出家をされ、6年の修業を積まれ、全ての苦を解決し覚りの境地に至った訳なのですが、、この第一の真理(苦諦)から、第四の真理までを、苦集滅道と呼びます。第二の真理は苦しみの原因とは一体何(集諦)なのか、そして原因が判ればそれを滅する方法(滅諦)も解り、そしてそのため手立て(道諦)も導き出されるということです。自分は修行の足りない坊主の端くれですが、実践できていないだけで、方法論だけは知っています。第二の真理とは、これは「私」というものに執着するから苦しみも生まれるということです。第三はこの「私」を滅した「無我」の境地になれば、苦もなくなるということだそうです。我々が(これは私も恥ずかしながら時々そうなります)安易に「死」を選びたがるのも、苦の原因である私を滅したいと思うからなのかもしれません。ただし、その場合、肉体的苦痛や、人間関係(特に親族との)の執着からは離れることができませんので、それを想像するに留め、なかなか実際に死を選ぶことはできないというのが誰でも持っている(私もそうです)心のありようかと思います。ただこう考えることもできます。「死を選ぶ」くらいの覚悟があるならば、この世でなんだってできる。これはある意味、執着から離れたところにある自由自在の境地なのかもしれません。プロフィールに「自己肯定感が低く、人の頼みを断れない、言い返せない、人に迷惑かけたなくない」といった事を拝見致しました。でもきっとそれでいいんだと思います。その上で貴方はきっと死など選ばなくても、もうちょっとで心が自由になれるのだと思います。もうちょっと、ほんのちょっと山を登れば苦痛から自由になって、さーっと辺りの景色が明鏡に映し出されるが如く綺麗に見えてくるような気がします。

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有り難し
おきもち

片田舎の真言宗智山派寺院の一僧侶です。宜しくおねがいします。
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一息ついてみて

拝読させて頂きました。
あなたがおっしゃるように生きていくことはとても辛いと思います。そして死ぬこともとても辛いとも思います。人それぞれその度合いは様々かとは思いますが、大なり小なり生きることそして死ぬことはやはり辛いと思います。
私たちはその生と死の荒波の中で必死になってもがいていると思います。
今そんな辛い中でおぼれかけているのが私たちです。

例えばですがその生と死の中からひとまず離れてみるのもいかがですか。目の前のことに追いまくられている中ですがちょっと気持ちの面でもほっておいてみることはいかがですか。
先程の荒波から離れてみてそこから陸地に上がってみることも必要かと思います。
飲み込まれてしまう荒波からちょっと高台に上がってみる気持ちで、そこで一息ついてみましょう、そしてゆっくりとその波のありようを見つめてみてもいいのではないかと思います。
また例えばですが私たち人間や人間の生活や社会をちょっと離れてみて、ふりそそぐ日差しの中で今生きている様々な生きものたちの姿をゆっくりと見つめてみませんか。
昨日これでもかとふりそそぐように鳴いていたセミたちは今日の朝にはお寺の境内にそのなきがらがありました。その遺体には沢山のアリたちが集まっていました。
その生きものたちの生と死を目の当たりにしてしまうといかがでしょう。
改めて生きることを存在、死ぬことの存在の前には私たちは驚かされます。
その生と死のいとなみの中であなたはどう思い、どう感じ、どう受けとめていかれるでしょう。

そこに答えはないというか、わからないことだらけかと思います。
とはいえ辛く苦しい生と死のいとなみの先にはもっと大きなものを感じたり、考えさせられたりもするものです。

少し一息ついて見つめてみませんか。

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

Kousyo Kuuyo Azuma様 

回答ありがとうございます。
自分の死生観は極端なところがあり、絶望したり追い詰められると、悪い面が強く出てしまいます。
Kousyo Kuuyo Azuma様の言われる通りまずはゆっくりまわりをみたり、整理してみます。メッセージを頂いてから「逃げる」「休む」等の選択肢も考えれるようになりました。
この度はありがとうございました。

持斎様

回答ありがとうございます。
「死を選ぶくらいならなんでもできる」「私のままでいい」
書籍等の文章ではよく読んだ言葉ですが、今回のように生の言葉で言ってもらえるととても救われた気がします。
「私」の執着をなくすのは難しいですが、そのような考えがあると知れて良かったです。
この度はありがとうございました。

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