夫に許してもらいたい、相手が許せない
互いに家庭ある身で不倫していました。
ご相談は、心の持ち方、やり場です。
私自身は夫に許してもらいたい、そして相手を許すことができていません。
私の家庭は、離婚届を夫が未だに持ち歩いていながらも普段通りに過ごしてくれ、首の皮一枚なんとかなっています。
私の夫は相手から、私と子どもを引き取るから離婚してくれ、と要求されていました。
相手家庭は、つい先日、私と会わない念書を書いたと人伝に聞きました。
私が離婚しなくても身一つにして待つ(自分は離婚する)、と言っていたはずでした。
コロナ禍になり、夫婦の議論が凍結、同時に義父の死があったようで、相手夫婦は元鞘になりました。
それでも、人知れず一緒にいてくれ、と言うので、私も気持ちがあり、苦しみながらも受け入れた矢先でした。
念書が書けるくらいなら、はじめから私の家庭にあがりこんでこないで欲しかった。
絶対に離れたくないと言うから、なんとか細くても続ける工夫を考えたのに、ふみにじられてしまった。
憎くて恨めしくて、この気持ちを忘れて家族を大切にいきたいのですが、
・最終的に私にも私の夫にも謝っていない
・簡単に一筆が書けたこと
・私自身が首の皮一枚で許されていないのに、相手は妻に許されのうのうと生きていること
それらが心を苛み、苦しいです。
どうか、なにか道標をいただけないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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不倫をしたのは…
三毒
こんにちは。
仏教では煩悩という言葉を用いて、人の心のありようを表現します。煩悩とは自己中心の心です。
自分の思い通りになるもの、心地の良いものは貪(むさぼ)って、必要以上に欲する。これを貪欲(とんよく)と言います。
思い通りにならないものは、怒って遠ざけたり糾弾する。これを瞋恚(しんに)といいます。
そう、貪欲も瞋恚も自己中心を判断の基準としています。その勝手な判断基準に気がついていないことを、愚痴といいます。
痴とは、知っているわかっているつもりということが、すでに病に侵されているという字です。それがイコール愚かさということでもあるという意味です。
貪欲、瞋恚、愚痴を三毒と言って、煩悩の中心と私は教えられました。
「なにか道標をいただけないでしょうか」と問われたので、仏教の基本についてご紹介しました。道標になりましたら幸いです。
質問者からのお礼
釋さん、秋山さん
ご回答をありがとうございます。