絶望の人生
私は、地獄に堕ちるのが怖いです。
特別に、悪い事をしている訳ではありませんが、このまま自殺したら地獄に堕ちるとネットに書いてあったので、心配です。
以前、投稿した文にも同じ様な文を記述しましたが、顔と声の不細工すぎると高校入学当初から大学生の今に至るまで言われ続けてきました。
一度だけ自分の事をかっこいいといってくれて、ある人(ここでは実名を公表出来ません)が好意を寄せていると風の噂で耳にしましたが、結局その人と付き合うこともありませんでしたし、その人とは大学は違うのですが、同じ電車でたまに見かけた時、あんなブス、なんで好きになったんだろうと陰口をたたかれました。
自分にも、チャンスがあるのかと思っていた自分がばかばかしく思え、凄くショックでした。
今は大学でも、バイト先でも、通学中でもブス、ブス言われて自信が持てなくなりました。
表情も暗く、目の光が失われて、すべてに絶望した私に対して、周りの人は「目が死んでるし、怖いからみんなにいろいろ言われるんじゃない」と私の事何も知らないくせに、いろいろいってくる人間が憎くて仕方がありません。
苦しくて苦しくてたまらない、自殺しても、地獄に堕ちるし八方塞がりの状態で、どうしたらいいのか分からずに生きています。
結局、生きていくしか選択肢はないのですがお坊さんでしたらこの状況をどのように打破し、人生をより豊かにして生きていくのか?
知恵を貸していただきたいのです。よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
他人に自分の何が分かる
こんにちは、はじめまして。
以前に観た映画で「G.I.ジェーン」という作品があります。
不屈の闘志と努力で、意志を貫徹する1人の女性が主人公です。
志願者の60パーセントは脱落するといわれる、最難関のアメリカ海軍特殊部隊の訓練に、前例のない女性の参加。男性との体力差、女性であることから仲間とみなされない苦しさ、偏見をはねのける力強い様が描かれています。その訓練後に、未来へと羽ばたいていく主人公に、鬼教官が一冊の詩集をくれます。
D.H.ローレンスの「自己憐憫」という名の詩にしおりが挟んでありました。
野生なるものが
自らをあわれむのを
私は見たことがない。
小鳥は 凍え死んで枝から落ちようとも
自分を惨めだとは 決して思わないもの
という詩でした。
私は思います。
小鳥は、自分の造形を悲しむでしょうか。
寒いと不平をもらすでしょうか。
ひたすらに、極寒の現実を生きる。
惨めだとは露ほども思わずに。
これが現実だと思い定めて、飛び、食べ、一時の休みを得て、また飛ぶ。
ギリギリまで生命を燃やし尽くし続ける。
それが野生のものである、と。
他人の罵詈雑言が何だ。
他人に自分の何が分かる。
それほどまでに悪口(あっこう)を投げつける人間は、自分自身を惨めだと気づかないのか。それこそ、気の毒な存在だ。
他人は、何の責任も持たない。
自分の評価を預ける必要もさらさらない。
私は、私のまま、私を悲しむことなく、燃やし尽くして生きる。
そう生きれば宜しいのではないですか。
質問者からのお礼
この度は似たようなな趣旨の質問を投げつけてしまい大変申し訳ございません。
他人に自分の評価を預けないとおっしゃっていましたが、別に預けた訳じゃありませんし、悪口を聞くと言う事は記憶に刻まれ、思い出す度に、あるいは見ず知らずの人に不細工で性格が悪いなんて言われてまともに受け流せる訳ないじゃないですか。
それにずっとあいつは性格が悪いままと訳の分からない事まで言われて、何にも知らない人から新規集中砲火なんてされて、人格否定までされてまともな心理状態で返信出来ていない状態ですが、ざっくり言うと基本無視なんて、無理です。
普通に精神傷つきます。