ルッキズムと私回答受付中
私は、自分の容姿に強いコンプレックスを感じています。顔が地味、背が低い、胸が小さい、太っている…幼少期から容姿でいじめられたり、からかわれたりしていました。母の華やかな容姿に似ず、地味な容姿に生まれ、家族から失望されたこともあります。また、大学生になって私は、田舎から都会の大学に行くことになり、中高の校則が厳しかった分、自分を表現できるおしゃれを思い切り楽しみたいという思いを強く持っていました。しかし、入学早々、容姿の良い、女の子のいじめっ子たちから半ば強引に引き立て役にされました。それがトラウマになり、楽しみにしていたおしゃれができなくなって、自分で服も選べなくなってしまい、たまに遊びに来る母の勧める服ばかりを着ていました。また、私が母と出かける際、私が研究しながら一生懸命に考えたコーディネートを見て、母から「一緒に歩きたくない」と言われたこともあります。元彼から裏切られたり、異性から嫌がらせをされた際も、母に相談したら「優しそうな容姿だからじゃない?」と言われ、ネットで調べても「大人しくて優しそうな容姿の人はいじめられやすい」と出てきて、私はいじめられても仕方ない容姿なんだと絶望しました。今は、自分より容姿の良い人の隣に立つのが苦痛になるくらいで、良くないことだと分かっていますが、知らない人でも、容姿の良い人が隣に来たらそっと離れてしまいます。
容姿によってずっといじめられ、トラウマを抱えている私ですが、一方で、容姿などの多様性を押し付ける「ポリコレ」にも嫌気が差します。例えば、ゲームのスタイルの良い美人なキャラクターが「性的だから」という理由で肥満体型にさせられようとしたり、元々肌の色が白いキャラクターを、「人種差別」だと言って肌の色を変えたり、企業がルッキズムへの反対を掲げながら、私が今まで知らなかったような美の基準を表す言葉や計算式を並べられたりする表現にイライラしてしまいます。私のように容姿でトラウマになり、歪んで悩む存在にとって、複雑な現代で生きるのはハードモード、というより詰みゲーです。
パーソナルカラーや顔タイプを研究して自分に似合うものを考えたり、ジムに行って鍛えたりしても、どれだけ頑張っても、生まれ持った物がなければ「完璧で、誰にも何も言われない、何もされない」容姿にはなれないので、絶望です。
お坊さんからの回答 1件
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求めるものを得られない苦しみ
いったん、大きな視点で考えてみましょう。
仏教では、生き物から苦しみや不満や、苦しみへの対処が無くなることは無いと言われます。
ただ、瞬間ごとに苦しみの形が変わっていき、その都度その都度の苦しみへの対処(瞬間ごとの宿題)が変わっていくだけです。
例えば四苦八苦と呼ばれる代表的な苦しみの項目があり、その中に「求不得苦」、求めるものを得られない苦しみというものがあります。
つまり人間も動物も、欲しいものが手に入らないことは必ずあるというのが、ブッダ(仏様、真理を覚った者)の教えなのです。
例えば政治家を見てみると、選挙で何千票何万票ももらって当選した方々ですが、全員が美男美女というわけではありません。
清潔感は必要でしょうけど、政治の世界ではルッキズムは重要ではないようです。
人類全体や人生100年全般を広い視野で見たときには、容姿が重視されるエリアはごく狭い範囲だと言えます。
ですから、無いものを見て悩み苦しむのではなく、現実的に手に入るものを有効活用する方が、明るく楽しい人生になるでしょう。
ちなみに、日本人は一重まぶたにコンプレックスを抱いている人が多いですが、一重まぶたは寒さから眼球を守るために進化したものだそうです。
日本人がアフリカ系に比べて小顔ではないのも、寒さに強くなるためでしょう。
背が低いことも、スポーツや職業の種類によってはコンパクトな動作ができて有利なものもありますね。
地味な顔や小柄な体系の遺伝子も、人類全体のバリエーションとしては必要だから生き残ってきたのではないでしょうか。
容姿が劣っていても政治家にすら成れる世の中です。
自分をどのようにプロデュースして他人と渡り合っていくか(喋り方や表情など)は意識した方が良いかもしれません。


