死期が近いかもしれない祖母に対する心構え
ひと月程前に入院した祖母が、ずっと意識の無い状態です。
お医者さんからは意識が戻る可能性は低いと言われています。それでも手を握ったり話し掛けたりしてはポジティブに回復を願って経過を見ていました。
しかしここ数日緩やかに容態が悪化し始めています。そして今日、お見舞いの折りに看護師さんから劇的によくなる事はないかもしれないと言われ、現実感が無くて受け入れられずにいます。
物心ついてから身近な人の死についての経験が全くありません。大好きな祖母のそれを考えただけでとても怖いですし悲しくて涙ばかり出ます。祖母に話し掛けている時も、「これが最後かも」と頭にちらついてしまって、うまく応援や励ましが出来ているのかわかりません。
最期を覚悟することと回復を祈ることの両立や折り合いは可能なのでしょうか?
※
祖母についてもう一つ相談させて下さい。
祖母は元々近所に住んでいて、よく家へ行ったりたまに外に連れ出したりしていましたが、高齢のために昨年末から施設に入っていたので直接会う事も長らく出来ていませんでした。
コロナウイルスが収まったらまた一緒に遊びに行こうと思っていたのに、このような状態になってしまって、元気なうちにもっと会いたかったなあとかなり後悔しています。
ずっと悔いは残ると思います。でも悔いを思い出した時に少しでも気持ちが軽くなる方法はあるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【成就】願いを叶える
おばあさんの祈りに応えよ。
おばあさんの願いを叶えてやれ。
先立つ者のおもいは、ただひとつ。
残された者たちの幸せだ。
おばぁの幸せは、孫の幸せ。
今、あなたは幸せか?
先立つおばぁに、孫として恥ずべき点はないだろうか?
世間様に、胸を張っておばぁの孫だと名告れるか?
おばぁの息のある今のうち、今のうち。
質問者からのお礼
お礼を申し上げるのが遅れてすみません。
転落院様、ご回答ありがとうございました。
先月の頭に祖母が逝去し、四十九日を終えても祖母が亡くなった実感もまだ足りないのですが、楽しいこともしつつ生きています。
思い出すとまだ後悔ばかりで悲しいです。
少しずつ、祖母に報告出来る嬉しい事を増やしていきたいと思います。