水子供養について
9年前に初めての妊娠で流産を経験しました。心拍確認できず出血し、病院での処置はせず自然に出てくる方を選び出血が続くままその時が来るまで過ごしていました。
少しでも長く一緒にいたかったのです。
塊が出てきたら病院に持って行くことになっていたのですが、トイレに入った際に出てきて水に流してしまいました。
妊娠初期だったとはいえ流産したこと、トイレに流してしまったこと罪悪感で今もあの時のことを鮮明に思い出します。
あれから長男長女を年子で無事に出産することができました。
子供達にはお空に行ってしまったことを話してあります。
エコー写真は大事にとってありますが、お墓も仏壇もなく水子供養は何もしてあげていません。毎日思い出して生きてたら‥と想像してみたり、ちゃんと産んであげられなくてごめんねと心の中で思うこともあります。
もう年数も経ち何も形もないのですが、お寺に行ってお経を唱えてもらうとかできるのでしょうか?
仏壇がなくてもその子の為にお花を飾ったり、お菓子を供えたりしても私の自己満足?なだけでおかしいでしょうか。
主人は自分が経験したわけではないので何とも思っていないようです。
私はちゃんと供養してずっと忘れないで家族みんなでその子を思っていてあげたいのですが、どうすることが一番良いのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
十分だと思います。
大変お辛い思いをされましたね。お辛かったでしょう。
そういう辛さは、同一体験ができない以上、ご本人にしかなかなか理解されないものです。
一般に女性は男性より我慢強いと言われます。出産の苦しみはとても男では耐えられない
というのを聞いたことがあります。伴侶とはいえご主人さまには、なかなか理解しえないのではないでしょうか。
ご供養についてですが、仏教は因果の法則により動いていると言われます。因果応報。
したこと(因)が、あとで返ってくる(果)ということです。これは現世でそうなるとは限りません。来世、その次かもしれません。ここで、あなた様に何らかの責任があるでしょうか?
私は全くないと思います。だれでも好んで、流産するような人はいないと思います。辛い辛い想いです。
あなた様は出産を待ち望んでいらしたんだら、尚更です。
流れてしまったお子様は、そうう宿命をもって受胎しました。そして流産してこの世を去る宿命だったのです。
それでは、何のために受胎したのか、その意義を考えてみたらよいのではないでしょうか?
私は、あなた様に命の大切さ、切なさ、はかなさを教えるために受胎したんだと思うんです。
もしも、流産することがなければ、あなた様はかように長い間、悩み、苦しむことはなかったはずです。
そして、十分に命の大切さ、はかなさ、無常を痛いほど感じることができましたよね。
そうであるなば、流産した子は、この世に受胎した甲斐があったというものです。
それで十分ではなでしょうか?この子は、お勤めを果たして極楽浄土に還りました。
亡きがらはもうどうでもいいんです。魂が問題なのですから。
この子は自分自身の因果を一つクリアーしたんです。今頃は仏様にめでていただいてるかもしれませんし、
もう、とっくに生まれ変わって、成長しているかもしれませんよ。
供養とは、魂を鎮めるという意味に考えられがちですが、おもてなしです、感謝の気持ちを捧げるのです。
それで十分だと思います。気持ちの整理をする意味で僧侶に供養の依頼をされるのも、一考ですが、
そのお子様にどうぞ、いっぱいの感謝と愛情捧げてください。それが何よりの供養です。
私はそれで十分だと、思います。
あなた様とご家族の幸せを祈ります。
質問者からのお礼
ありがとうございます。そうですね、きっとちゃんと意味があったんですよね。辛い悲しい‥ごめんね‥ばかりではなく感謝の気持ちも大事にしていきます。天国にいても、どこかで生まれ変わっていても、幸せでいてほしいと祈っています。