仏さまに責められている?
はじめまして。七瀬と申します。
以前、多くの仏さまが安置されている博物館のような施設に行きました。
荘厳な雰囲気に圧倒されると同時に、仏さまたちになにか強く責められているような気がして恐ろしくなり、すぐに踵を返して参りました。
帰ってからの日々で内観を繰り返し、その理由などを探っておりましたところ『産まれ生きていることへの罪悪感』が浮かび上がってきました。
同時に、『親孝行できていないこと』にも罪悪感と焦りを感じていることにも気が付きました。
『産まれ生きていることへの罪悪感』→『両親への贖罪』→『親孝行すべき・せねば』と、幼少期から自分の中で繋がっていたようです。
僕は仕事はしていますが高給取りではなく、伴侶もいなければ友人もなく、これといった親孝行もできておらず、後ろめたさを常に感じています。
両親との関係はおおむね良好ではありますが、お互いに腹を割って本気で向き合ったことは今までに一度もないと思います。
幼少期について思い返すときは、その思い出の善し悪しは別として、『そもそも産まれてきて(苦労をかけて)申し訳ないなぁ』という言葉が必ず浮かんできます。
それでも、仏さまが僕を責め立てるということはしないと頭では理解しています。
僕が自分の中に持っている罪悪感が、目の前の仏さまたちをそういう風に見せていたのだと思っています。
しかしながら、未熟な僕の内観だけではここで限界を迎えてしまいました。
長年抱えていたため、これは非常に頑固な罪悪感であると自覚しています。
これを手放すことができれば、もう少し楽に生きられるのではないかと思っています。
どうすればこの世に産まれ生きていることそのものへの大きな罪悪感を無くせるのか、お坊様がたのお智慧を拝借したいと思い、この度は相談させていただきました。
拙い文章で恐縮ですが、どうぞよろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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【機法一体】馬車の両輪
"この世に産まれ生きていることそのものへの大きな罪悪感"
ここに、
「そんな私をも見捨てずにいてくださる存在への感謝」
が加われば、バランスがとれるよ。
<追記>
「バカでアホな自分」という自覚が深まるほど、こんな自分に付き合ってくれる親や友達や先生方などの「ありがたみ」がわかってくる。ここに「すみません」「ありがとうございます」という心の底から感謝の気持ちが吹き上がってくるよね。すると、今度はそこには謙虚さが生まれてくる。
質問者からのお礼
転落院様、ご回答いただき誠にありがとうございました。
お礼が遅くなりすみません。
僕には思い付きもしなかった視点なので、すぐには理解できませんでしたが、何度も反芻しているうちに自分の中でしっくりと馴染んできているように感じております。
罪悪感を消そうとするのではなく、1歩先に立った感謝という目線で、それを持つ自分すらも丸ごと受け入れるということでしょうか。
解釈が誤っていたら恐縮です。
新たな考え方をいただき、心が軽くなったように感じています。
少しずつでも、前に進んで行こうと思います。
この度はありがとうございました((。・ω・)。´_ _))ペコ
ご回答、ありがとうございました。
『感謝』と、そこから生まれる『謙虚さ』に着目するというのはとても大切ですね。
罪悪感について考えていると、自分ばかりに目が向きどうしても視野が狭くなってしまうので。
この重い罪悪感を健全な謙虚さに変えていけるよう、日々を大切に過ごしていきたいと思います。
重ね重ね、この度はありがとうございました。