不倫
いつもハスノハのこちらのサイトを拝見して、学ばせて気づかせていただいています。いつもありがとうございます。
わたしは、今月、約一年間お付き合いをしていた方とお別れしました。私は独身、彼は既婚者でした。離れなくてはいけない、でも離れたくないと、一年以上葛藤し、やっと自分からお別れを切り出すことができました。彼は、家族と私は別枠。奥様から離婚を切り出されたら応じるけれど自分から言うつもりはないと言っていました。言葉を選ばずに言えばわたしは遊び相手だということです。それをわかっていながら、関係を続けてしまいました。全てわたしの責任です。
ただ彼のしてくれたこと楽しかったこと嬉しかったことはたくさんあり、感謝しています。彼の笑顔を毎日思い出すので辛いです。彼から連絡がくるのではないかと、携帯がなるたびに思います。
ご家族が不倫について知っていたかはわかりません。知ってる知らないどちらにしろ、一番辛いのは彼のご家族だということも理性ではわかっています。
だからわたしが辛いと言っていい立場ではないと理性では理解できます。
ですが、仕事中でも涙が出てしまうくらい辛いというのが本心です。自分が被害者とは思っていません。自分の責任、判断です。
この気持ち、自分の間違え、後悔から何を学ぶのか、何を改善すればいいのか。
どんなふうに生きていけばいいのか、自信がなく、わならなくなりました。ご助言いただけませんでしょうか。よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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本能煩悩理性そして社会
みみさんはじめまして、
ご相談ありがとうございます。
一緒に考えさせていただきます。
率直に私の考えを申させていただくと、社会的に正しい事ができたことを誇っていいのではないかと思います。
社会の正しさが全て本当の意味で正しいとは限りませんが、私たちは社会で生きています。
そして、自分の考えた正しさに向き合えた事が、自分の正しいと思った道に歩みを進めたことが本当はとても難しいことを達成したのではないかと思います。
私たちは動物としての本能、人間としての煩悩、欲を持って生きています。
その煩悩によって自分の都合の良いように考えてしまいがちです。
その欲に振り回されて、時に間違いを起こします。そしてその欲によって言い訳をします。「しょうがなかったんだ」「誰々が悪いから」と様々な理由をつけます。
その中から抜け出すことは容易ではありません。
人間は自分で考えて生きているように思いますが、
実は社会に流され、自分の煩悩に流され生きています。
そこから自分で考え、自分で行動する。
当たり前ですが、この事が大変重要です。
その一歩を踏み出された、自分の足で地上に立ち歩み出されたことに自信を持っていかれたらと思います。
動物は本能のみで生きていますから、悩みません。
人間は本能と理性をもち、そして社会で生きています。
その全てが同じ答えになることは絶対ありません。だから悩むのです。
悩む、迷う、苦しむということは人間であるということの証拠です。
人間としての第一歩を踏み出しているということです。
仏教は悩みがなくなる、迷いがなくなる教えではありません。
悩んでいる、迷っている、苦しんでいる人を応援、共感する教えです。
迷って悩んで苦しんでいるみみさん、その調子で共にがんばっていきましょう!
是非またご相談くださいね。
質問者からのお礼
アドバイスをくださって、ありがとうございます。
お会いしたこともない私に対して、親身にご助言くださり、寄り添ってくださり、感謝しかありません。
わたしは自分のしたことを責められるのではないかとどこかで思っていました。
ですが、今回わたしのした別れるという選択に対して、共感してくださり、後押ししてくださり、とても心がほっとしました。
朝から涙が出ました。
私はまだまだ未熟で、間違えが多いです。
それでも少しでも前にすすんでいけるように、頑張って生きていきます。
本当にありがとうございました。