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揉めた神社から祟られて辛いです

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揉めた神社から祟られて辛いです

私は8月末ぐらいに
仲の良かった神社と揉めて
袂を分かちました。
それから私は
自律神経失調症や
呼吸器系の持病が酷くなったり
職場では社長の娘から
パワハラを受けて精神的に
死ぬほど辛くなりました。

その神主のアカウントで
間接的に私のことを
悪く書いていました
きっとその神主の念が
私を苦しめてるのだと思います
向こうは神職なので
本気を出せば一般人の私を
抹殺できるぐらいの呪いを
かけられると思います。
なので、本当に殺されそうで
毎日、戦々恐々としております。
この状況はどう対処すれば
宜しいのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

正しく崇敬すれば、神様は祟りませんよ

 ご質問、拝読しました。疾患のため、体調が思わしくないんですね。そういう中でも、頑張って会社に行っておられるんですね。

 神社が祟ることはありません。

 確かに、日本の歴史の中で、非業の死を遂げた政治屋や武将が怨霊となって祟ることはありました。でも、そういう怨霊を鎮めるために、其の怨霊を祭神に祀り上げ神社が創建されました。有名なところでは、菅原道真を祭神とした北野天神。平将門を祭神とした神田明神。宇和島伊達家家臣山家清兵衛を祭神とした和霊神社等々あります。これらの神社は地元はもとより全国に多くの崇敬者を有しております。嘗ては怨霊であっても祭神として祀られることで、崇敬する多くの人々を加護しています。

 今までの質問を読む限りでは、ゆう子さんは心込めて神社を参拝し崇敬して来られたと思います。そういう立派な崇敬者を神様が祟るなんて、ありえません。神道のことを「神ながらの道」とも言うことは、御存じだと思います。「神の御心のままに」という意味です。
 「その神主の念が私を苦しめてるのだと思います」と書いておられますが、それは思い違いだと思います。神主さんが神様の力で邪悪な念を発することは、有りえません。仮に神主さんが邪悪な念を発しようとしても、本物の神様はそんなことに加担しません。邪悪な念で動かされるようなら、本物の神様とは言えませんよ。その地域で長い歴史と伝統を誇る神社だと思います。そんな神社の祭神が悪事に加担すると考えること自体、不敬です。神様に失礼ですよ。ゆう子さんは今まで一生懸命神社を参拝し崇敬してきた筈です。自分の信仰を貶めちゃ駄目ですよ。

 拝み屋さんや占い師さんは相談を受けると、「誰かの呪い」とか「何かの祟り」と言って悪者をでっちあげます。普通に日常生活を営む人々でも同じように「今の自分の境遇の原因は○○にあるのだ。」と悪者を決めつけがちです。気持ちはわかりますが、真実の原因から目を背けてしまうことになります。体調管理のためには、医師の診断を受け指導に従うと共に、ものごとを素直な目で正しく見るよう努めましょう。

 

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 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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悩み苦しみの原因は自分の煩悩

仏教的には、悩み苦しみの原因は自分自身の煩悩(欲・怒り・怠け・プライドなど)だと思った方が、あなたは解決の糸口にたどりつきやすくなります。
祟りがあるとしても、暴風雨やウイルスのような自然現象ほどの恐ろしさはないと思います。
また、そもそも人は必ず老い、病み、死にます。
祟りに関係なくどうせ壊れていくこの肉体。
ならば、自分自身の心を明るくして、短い人生を平安に生きられればそれで良い。
祟りだろうと災害だろうと、来るときは来るのですから、それは仕方ないのです。
祟りを拒むのではなく、たとえ祟られても平気へっちゃらで笑っていられる明るさを身につけましょう。
その第一歩は、
「欲・怒り・怠け・プライドは煩悩。煩悩は悩み苦しみの原因。」
と、瞬間瞬間の自身の心を客観視することだと思います。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

素敵な回答ありがとうございます。
心より感謝いたします。

素敵なお言葉ありがとうございます

「神社・神様」問答一覧

神を信じられなくなって辛い。

カトリックですが、神父さんに相談しても解決しないので、こちらにおすがりしています。 数年前、ヒルティと言う偉人の書いた幸福論3部作に心酔しました。良い事も書かれていて非常に感銘を受けました。只、迷信も結構書かれていて、、書物や場合によっては人との出会いは導き、とか。人との出会いは導き、と言う事を信じてしまい、当時出会った人と結婚しましたが、タイプの方では無かったのですぐに苦しくなり、、やむ無く離婚を申し出て相手を非常に傷付けました。私もそんなひどい事を自分がした事に傷付きました。以来6年半経ちますが、神は何故こんな事をしたんだろうと、考えています。答えは勿論ありません。神を信じられなくなってしまいました。辛いです。神父さんとかは、その出会いにも別れにも意味があると言いますが、彼女の嘆きを見た私には、意味があったとは思えません。何でこんなひどい事を神はしたんだろうと悩み苦しんでいます。神は予定はしない、と神父は言うのですが、納得いきません。ヒルティが迷信を書いていたのを信じたのが悪かったと思っていますが、抜け出せません。どうしたらいいのかなぁ、、何卒宜しくお願い申し上げます。

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天部の神様と死について

こんにちは。表題の件について質問させて下さい。 忌中には、天部の神様を祀ってあるお寺に参ってはいけないという話を聞きました。 理由は「死は穢れで、特に聖天さんなんかは穢れを嫌うから」「天部の神様は人間に近いから、死を思い出させることで荒れ狂ってしまうから」「本当は神様はそんなこと気にしないんだけど、あなたが悲しいときに無理してお参りしなくていいよ、という意味だ」など、お坊さんによって様々なようです。 私も最近祖母を亡くしました。 祖母とは生前不仲でしたが、遺体を見ていると「生まれて生きて死ぬとは本当に大仕事で、この人はそれをやってのけたんだな。お疲れ様」と素直に見送る気持ちになれました。 死ぬのは怖いけど、それは死に際しての苦痛への恐怖が主であって、死自体はどんな生き物にも訪れるものですし、決して穢れではないと思うのです。 肉体が腐ることだって、微生物に分解され、本来なら動物や植物の糧になり、土に還るという尊い過程です。 何なら生きることより尊いと思うし、衛生管理のため仕方ないとはいえ、死んでまで化石燃料バンバン使って骨にして何の役にも立たない壺に収めて保管して、アホらし、とすら思いました。 そう考えると、「死は穢れだから」とか「天部の神様が死を恐れるから」という理由は、個人的にはあまりしっくり来ません。 人によって死への解釈や意見は違うものでしょうが、実際のところ、天部の神様にとって人間の死とはどういう扱いなのでしょうか? どうして忌中に参ってはいけないのでしょう? 現役のお坊さんの意見をお聞きしたいです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 1
回答数回答 1

神を信じられなくなってしまいました辛い。

カトリックのクリスチャンですが、神父さんに相談しても一向に解決しないので、こちらにお縋りしています。 数年前に偉人のヒルティと言う人の幸福論と言う著作を読んで心酔しました。何度も繰り返し読みました。確かに良い事も書いてあったのですが、書物や人との出会いは導き、と書いてあったりして、当時の私は私の知らない宗教の神秘かと思い、信じてしまいました。当時出会った女性が自分のタイプでは無かったにも関わらず、運命の人だと信じて結婚しました。直ぐに苦しくなって耐えられない位になり、やむ無く別れをお願いして離婚しました。彼女は号泣して私の胸も引き裂かれる様でした。 以来6年余りが経過しますが、未だ神に逆らって離婚したと言う気持ちが無くなりません。どうして神はこんな事をしたのだろうと答えの出ない問いを続けて苦しんでいます。でも神を信じているから、答えが欲しくて。神父さんにも相談してみましたが、キリスト教も誤った解釈があるとかとは、絶対に言われないので、一向に楽になりません。地獄を彷徨っています。神が何故不幸になる様な事に導いたのかなぁ。どうか宜しくお願い申し上げます。死にたい位辛くてなりません。涙

有り難し有り難し 20
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稲荷信仰の宗教学民俗学的知見を求めてます

 最近、狐に呼ばれているような気がします。稲荷神社に参る必要性を感じているのですが、どこの稲荷神社に行けばよいのかわかりません。  20歳の時に初めて参り強く心惹かれ、なんとなく購入してきた狐のぬいぐるみを会社に居る間ずっとお世話させていただいていた京都の伏見稲荷大社が筆頭ですが、子供の頃に毎日通っていた千駄木の満足稲荷、今は両親の離婚に伴い縁のない実父の家が代々氏子を務める根津の根津神社内の乙女稲荷、生まれた病院の隣の湯島の花姫稲荷にも縁があります。現実問題として現住所が東京であるため、伏見稲荷大社以外でも失礼にあたらないのであれば、そちらに参りたくもあります。  また、昨年は自殺を考えるまで思い詰めたいた時期もあったのですが、その際に縁もゆかりもなかった女性に救われました。その方とは今は連絡が取れないのですが、不思議な人で、どうも今を思うと言動の節々や所作から、狐だったような気がしてなりません。ただ、この方は仏教系の荼枳尼天に近い気もしており、そうなると仏教系の豊川稲荷に行くべきかもしれません。  祀るにあたってリスクがあると言われる稲荷神ではありますが、それだけに失礼のないよう調査しており、また、この機会に一生祀る覚悟もあります。そうでなくとも、召喚には応ずるべきですし、もしも本当に自殺の間際から救ってくださったのがお狐様であるなら、お礼は言うべきだと強く感じています。故に、気軽に選択できずにいろいろ調べている現状です。  神仏には何かを求めるものではなく、あくまで個人の努力を応援してくださる存在として、私個人の思想と行動を中心に考えるべきということも重々承知しており、現実的な偶然を神秘的な問題と混同する危うさも理解しています。しかし、今回は、なんとなく重要な問題のような気がするので、心の問題というよりも、宗教学・民俗学的問題としての情報を求めています。  稲荷神の分霊に関して、総本宮である伏見・豊川の祭神と、それ以外の全国の稲荷神社の祭神は、神道系仏教系の同カテゴリの稲荷であればそれぞれが等しくどこからでもアクセスできるのか、派遣され憑いてくださるという眷属に関してはどのようなシステムで運営されているのか、全国の稲荷神社に参拝して信心を納めても良いものなのか、宗教学・民俗学に詳しい方がおられましたら、回答もしくは書籍の紹介いただけると幸いです。

有り難し有り難し 8
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ