偽り続けることに疲れました
私は単純に性別が安定していません。
なので、見た目も好きなように日替わりです。今日は女の子の服、今日は男の子。
自分のなかで折り合いは付いています。
しかし、社会人になり◯◯らしいとか世間の流行り毎に振り回されもう、うんざりです。
打ち合わせには女性らしいカジュアルにを求めてきたと思ったら、飲み会で、いやー◯◯さんはレズでしょ??と言葉を投げられる。
男性っぽいそいう格好をしてれば、「あーそういうね、いいよ私偏見ないかな」って近づくひと。
許容する私優しいに溺れているように見える。
私はほっておいてほしい。
好きな服をきて、好きな髪型をしているだけなのに。なんでこんな無駄な邪推、無駄な噂をたてられなきゃいけないの。
もう、まわりに適当にヘラヘラ受け流すのもつかれてしまいました。
女らしいとか男らしいをぶつけてこない未来かあるかな…ないな
なんかごちゃごちゃと書いてしまってごめんなさい。
文章もまとまらず
端的にいうと もう疲れました
何もかもが嫌になる瞬間がある
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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怒り(嫌がる気持ち)は煩悩
結局、個性は会話のネタにされてしまいます。
背が高いとか太っているとか、
趣味で何何をやっているとか、
学生時代に部活で何をやっていたとか、
人それぞれのキャラクターをネタに会話するのが、人間の日常です。
プライドを捨て、自分を防御することをあきらめ、会話を楽しむことを重視した方が楽かもしれません。
そんな会話をしたくないという怒り(嫌がる気持ち)は煩悩です。
煩悩は、悩み苦しみストレスの原因になります。
欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩は、日常生活のストレスを増やし、自分自身を疲れさせます。
あなたを疲れさせる敵の正体は、話しかけてくる他人ではなく、あなた自身の欲・怒り・怠け・プライドなのです。
一方で、相手が嫌がっているのにセクハラまがいの会話を止めないのは、会話をしたがる人の欲の煩悩です。
「あぁ、この人は今、欲の煩悩で会話のブレーキを忘れているんだな」と見守りましょう。
仏教は、煩悩を制御するコツをつかみ、自分と他人の悩み苦しみストレスを制御できるようになるためのノウハウの塊です。
自分の煩悩には気をつけ、他人の煩悩には慈悲の眼差しを。