順調な人生を全て投げ出したくなる
数年間同業種でコツコツと働き続け、経験を積んできました。そして現在、良い会社に恵まれ、人間関係も業務内容も給料も何不自由なく働かせてもらっています。
優しい友人がいてくれて、家族との仲も良好で、出会う人がみんないい人で、いい人生です。本当にありがたいです。
ただ時々、今の仕事をなにもかも辞めて、もう誰も自分のことなんか知らないところに急に消えたくなる衝動に駆られます。名前も顔も変えて、日本の端っこで風俗嬢などの女性的な面で金銭を稼ぐような職業になってその日暮らしの退廃的な日々を過ごしたいという妄想をしてしまいます。
落ち着くと「いやいや、今とっても恵まれてるんだから、毎日をありがたく享受しようよ!」と思い直すんですが、どうも良いことがあったり仕事で成果を出すたびにそういった気持ちが強く浮かび上がってきます。
今も書いていて不思議なんですが、この衝動はいったいなぜ起こるのでしょうか??そして、どうしたら心から今の人生を本当に肯定できるのでしょうか。
実力主義の仕事をしており、男性や女性があまり関係のない環境で結果を出し、順調にステップアップをしてきました。男女平等の実現が叫ばれ続けるこの日本で、ものすごく恵まれていることです。
それ故、もしかして女性として見られることへの憧れを感じているんでしょうか。単純に知らない世界への興味なのでしょうか。こういった心の動きになにか名前はあるのでしょうか。
支離滅裂になってしまって申し訳ないのですが、なぜこんな気持ちになってしまうのか、ご回答いただけたらと思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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自分の人生は恵まれていると思っているのに、誰も知らない所に行って、全く違う生き方をしたいと思っている。一方で、そういう事を妄想と考えて、毎日を有難く享受しなければとも感じているのですね。なぜそういう気持ちが起こっているか知りたい。
それは妄想とも言えるけれども、自分の中にそういう生き方をしてみたいなという気持ちがあるというのは嘘ではないのではないでしょうか。だとしたら、そういう気持ちが存在することはまず認めていいと思うんですね。それは悪ではない。
なぜそんな気持ちが湧いてくるのか理由は私には分りません。しかし、思うのは、人の中には色々な気持ち、多様な自分が共存していて、その中でバランスを取って生きているのだと思う。あなたにも、すごく常識的な面もあれば、その一方で破壊衝動のような衝動的な部分もあるでしょう。優しい部分、弱虫な部分、姉御肌な部分…等、色々な自分があるはず。で、その部分のどこに重きを置くかでバランスを取っていると思います。皆そうだと思う。だから、そういう気持ちがあっても普通だという事。ただ、その中で人は妥協していくのだと思います。
妥協せずに、衝動的に違う人生も生きてみるのも全然ありだと思うんですね。統一されていなくてはいけないというのもまたもしかしたら窮屈な生き方なのかもしれない。ただ多くの人は、安定した方を選ぶだけであって、何が幸せかは分かりません。もしかしたら退廃的生活をしなくても、芸術や文学、創作など、新たな活動でその衝動を生かしても良いかもしれない。あなたは、今の生き方だけではない、人間の生き方は無限の可能性がある事を感じているからこそ、そういう気持ちが今フォーカスされているのかもしれません。精神分析学者のエリクソンによれば、人間は主に30代位まで、人生の価値観を何度も創り、壊し、また創りを繰り返すそうです。そういう気もちをダメだと決めつけずに、自分なりに納得のいく生き方を探しても良いかもしれません。一度人生を振り返る意味でもプロの臨床心理士等のカウンセリングなどを受けても良いかもしれません。そういう時期かもしれませんよ。
出来たら読んでもらいたい本があります。平野啓一郎という作家が今のあなたのような心をテーマに本を書いています。『私とは何か 個人から分人へ』や『ある男』という作品を読んでみて欲しいです。あなたに似ている人が出てきます