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行ってはいけない神社に忌中に参拝しました

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今年は良くない事が続いていたので、神社やお寺への参拝を頻繁に行っていました。
その中で、秋に祖父が亡くなったのですが、四十九日の忌中の間にも、神社やお寺に複数回参拝しておりました。

そんな時に偶然「忌中の間に神社に参拝はしてはいけない(お寺はOK)」という風習がある事を知りました。
行ってしまった事は神様にとても失礼にあたるとのことで、心の中で「申し訳ありませんでした」と謝罪の気持ちを持っているのですが、
調べた神社(訪れていない他の神社)によっては「鳥居の外でお祓いをしてもらった方が良い」との記載もある場所もありました。

その中で、忌中に神田明神にも参拝に行っていました。
その後、忌中での参拝は控えなければならないという事を知る同じタイミングで、
「成田山新勝寺に信仰がある人は神田明神には行ってはいけない」事と「苗字に"藤"が付く人は行ってはいけない」という事も知りました。
私は両方当てはまり、更に忌中に行ってしまったので、最悪な事をしてしまったのではないかと気がかりです…。

こういう場合の正しい対処法などはあるのでしょうか…。
それと、2021年は決意の気持ちも込めて、感染予防に従いながら初詣(お寺)に行きたいなと考えているのですが、喪中の時に行っても良いのでしょうか。
ご教示頂ければ幸いです。よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

気にしなくても大丈夫です。

それぞれの宗教宗派には、それぞれのお決まりというものがありますが、果たして神仏からみれば、それはどうなのでしょうか。
神仏とは、満たされた完全なる存在であれば、何かを要求したりこうしなければならないとされるでしょうか。
その多くは、どうも人間の作った都合が含まれているような気もします。
しかし、神仏に相対する時は、敬虔でなければなりません。常に清浄であることは言うまでありません。

今回のおさんぽさんの不安なるお気持ちも分かりますが知らなかったことです。
もちろん罰は当たりません(罰を当たるような神仏なら初めから信じなければいいのですから)ただし自業自得は法則としてあります。
ゆえに、もう気にしないことです。そして、あまり他人にもそれらしき事は言わないことも大切です。誤った情報を教えることになりますから。

喪中にお寺に参詣されることも問題ありません。
むしろ、私のお寺では、ご本尊様やご先祖様に対しての感謝とご挨拶をと喪中の方にも初詣を進めています。

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おきもち

日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...
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人と同じだと考えれば良いかと思います。

まずもって、御祖父様が亡くなられたとの事、お悔やみと共に御念仏申させて下さい。
南無阿弥陀仏

そして良くない事が多かったのであれば、さぞお疲れとお察しします。

さて本題の『行ってはいけない期間に』ですが、結論から申せば深く気にする事は無いかと思います。

お寺では忌中はダメという事はありませんが、神道では確かに死は穢れとされますので参拝は避けるようにと言われます。

しかしやってしまった事は取り返せません。

ではどうすれば良いか。
人と同じように考えては如何でしょうか。

例えば友人知人に嫌な思いや失礼をしたとします。
その時にはまずお詫びしますよね。
その上で場合によってはご本人の好みそうなお菓子等を渡したりしますよね。

これと同様に、まず忌中が空けましたら改めて参拝に行かれたらどうでしょうか。

神様と友人を同列に扱うとお叱りを受けそうですが、敬う対象であるからこそ、まず謝辞を伝えて喜ぶものをお渡し(この場合はお供え。高価なもので無くても良いかと)しては如何でしょうか。

神道にしても仏教にしても、大切なのは「縁」が途切れない事です。
人間ですから過ちはあります。

神様も仏様もその辺はお見通しですから、後ろめたく思う必要は無いと私は思いますよ。

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おきもち

新潟県にある真宗大谷派の住職です。 寺に生まれ、寺に育ち、宗門の大学を出...
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質問者からのお礼

鈴木海祥様>>
ご回答ありがとうございます。
気にしない事が大切とのことで、丁度年の瀬もありますので、
2020年のうちに行った出来事での罪悪感は、2020年に手放して行こうと思いました。
また、喪中での初詣についてもありがとうございます。
来年に向けて初詣で気持ちを改めていきたいと思います。
ありがとうございました。

小林智光様>>
ご回答ありがとうございます。
また、祖父についてのお心遣いありがとうございます。
先日忌中が明けましたので、複数の神社のうち数社に
お詫びも込めて参拝をしてきました。
参拝をしていて「神様がどう思うか」ではなくて、
「自分がどう思うか」の方が大切なのではと感じました。
どう対応すれば良いか心残りだったのですが、参拝をしてスッキリする事が出来ました。
残りの神社にもお詫びを込めて年内に参拝をしてきたいと思います。
ありがとうございました。

12.23追記:
複数の神社にお詫びも込めて参拝し、あとは神田明神だけになり、
年内に行こうとタイミングを伺っていたのですが、
行こうとすると、何かしらトラブルが起きて行けない事が立て続けに起こって、
「これはもう来るなという事なのかな…苦笑」と解釈をして、
心の中で謝罪と今までの感謝をし、この件を終わらせることが出来ました。
新年を新しい気持ちで迎える事が出来ましたし、
色々学ぶことが出来て、良かったと思います。
ご教示ありがとうございました。

「神社・神様」問答一覧

神を信じられなくなって辛い。

カトリックですが、神父さんに相談しても解決しないので、こちらにおすがりしています。 数年前、ヒルティと言う偉人の書いた幸福論3部作に心酔しました。良い事も書かれていて非常に感銘を受けました。只、迷信も結構書かれていて、、書物や場合によっては人との出会いは導き、とか。人との出会いは導き、と言う事を信じてしまい、当時出会った人と結婚しましたが、タイプの方では無かったのですぐに苦しくなり、、やむ無く離婚を申し出て相手を非常に傷付けました。私もそんなひどい事を自分がした事に傷付きました。以来6年半経ちますが、神は何故こんな事をしたんだろうと、考えています。答えは勿論ありません。神を信じられなくなってしまいました。辛いです。神父さんとかは、その出会いにも別れにも意味があると言いますが、彼女の嘆きを見た私には、意味があったとは思えません。何でこんなひどい事を神はしたんだろうと悩み苦しんでいます。神は予定はしない、と神父は言うのですが、納得いきません。ヒルティが迷信を書いていたのを信じたのが悪かったと思っていますが、抜け出せません。どうしたらいいのかなぁ、、何卒宜しくお願い申し上げます。

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天部の神様と死について

こんにちは。表題の件について質問させて下さい。 忌中には、天部の神様を祀ってあるお寺に参ってはいけないという話を聞きました。 理由は「死は穢れで、特に聖天さんなんかは穢れを嫌うから」「天部の神様は人間に近いから、死を思い出させることで荒れ狂ってしまうから」「本当は神様はそんなこと気にしないんだけど、あなたが悲しいときに無理してお参りしなくていいよ、という意味だ」など、お坊さんによって様々なようです。 私も最近祖母を亡くしました。 祖母とは生前不仲でしたが、遺体を見ていると「生まれて生きて死ぬとは本当に大仕事で、この人はそれをやってのけたんだな。お疲れ様」と素直に見送る気持ちになれました。 死ぬのは怖いけど、それは死に際しての苦痛への恐怖が主であって、死自体はどんな生き物にも訪れるものですし、決して穢れではないと思うのです。 肉体が腐ることだって、微生物に分解され、本来なら動物や植物の糧になり、土に還るという尊い過程です。 何なら生きることより尊いと思うし、衛生管理のため仕方ないとはいえ、死んでまで化石燃料バンバン使って骨にして何の役にも立たない壺に収めて保管して、アホらし、とすら思いました。 そう考えると、「死は穢れだから」とか「天部の神様が死を恐れるから」という理由は、個人的にはあまりしっくり来ません。 人によって死への解釈や意見は違うものでしょうが、実際のところ、天部の神様にとって人間の死とはどういう扱いなのでしょうか? どうして忌中に参ってはいけないのでしょう? 現役のお坊さんの意見をお聞きしたいです。 よろしくお願いいたします。

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神を信じられなくなってしまいました辛い。

カトリックのクリスチャンですが、神父さんに相談しても一向に解決しないので、こちらにお縋りしています。 数年前に偉人のヒルティと言う人の幸福論と言う著作を読んで心酔しました。何度も繰り返し読みました。確かに良い事も書いてあったのですが、書物や人との出会いは導き、と書いてあったりして、当時の私は私の知らない宗教の神秘かと思い、信じてしまいました。当時出会った女性が自分のタイプでは無かったにも関わらず、運命の人だと信じて結婚しました。直ぐに苦しくなって耐えられない位になり、やむ無く別れをお願いして離婚しました。彼女は号泣して私の胸も引き裂かれる様でした。 以来6年余りが経過しますが、未だ神に逆らって離婚したと言う気持ちが無くなりません。どうして神はこんな事をしたのだろうと答えの出ない問いを続けて苦しんでいます。でも神を信じているから、答えが欲しくて。神父さんにも相談してみましたが、キリスト教も誤った解釈があるとかとは、絶対に言われないので、一向に楽になりません。地獄を彷徨っています。神が何故不幸になる様な事に導いたのかなぁ。どうか宜しくお願い申し上げます。死にたい位辛くてなりません。涙

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 最近、狐に呼ばれているような気がします。稲荷神社に参る必要性を感じているのですが、どこの稲荷神社に行けばよいのかわかりません。  20歳の時に初めて参り強く心惹かれ、なんとなく購入してきた狐のぬいぐるみを会社に居る間ずっとお世話させていただいていた京都の伏見稲荷大社が筆頭ですが、子供の頃に毎日通っていた千駄木の満足稲荷、今は両親の離婚に伴い縁のない実父の家が代々氏子を務める根津の根津神社内の乙女稲荷、生まれた病院の隣の湯島の花姫稲荷にも縁があります。現実問題として現住所が東京であるため、伏見稲荷大社以外でも失礼にあたらないのであれば、そちらに参りたくもあります。  また、昨年は自殺を考えるまで思い詰めたいた時期もあったのですが、その際に縁もゆかりもなかった女性に救われました。その方とは今は連絡が取れないのですが、不思議な人で、どうも今を思うと言動の節々や所作から、狐だったような気がしてなりません。ただ、この方は仏教系の荼枳尼天に近い気もしており、そうなると仏教系の豊川稲荷に行くべきかもしれません。  祀るにあたってリスクがあると言われる稲荷神ではありますが、それだけに失礼のないよう調査しており、また、この機会に一生祀る覚悟もあります。そうでなくとも、召喚には応ずるべきですし、もしも本当に自殺の間際から救ってくださったのがお狐様であるなら、お礼は言うべきだと強く感じています。故に、気軽に選択できずにいろいろ調べている現状です。  神仏には何かを求めるものではなく、あくまで個人の努力を応援してくださる存在として、私個人の思想と行動を中心に考えるべきということも重々承知しており、現実的な偶然を神秘的な問題と混同する危うさも理解しています。しかし、今回は、なんとなく重要な問題のような気がするので、心の問題というよりも、宗教学・民俗学的問題としての情報を求めています。  稲荷神の分霊に関して、総本宮である伏見・豊川の祭神と、それ以外の全国の稲荷神社の祭神は、神道系仏教系の同カテゴリの稲荷であればそれぞれが等しくどこからでもアクセスできるのか、派遣され憑いてくださるという眷属に関してはどのようなシステムで運営されているのか、全国の稲荷神社に参拝して信心を納めても良いものなのか、宗教学・民俗学に詳しい方がおられましたら、回答もしくは書籍の紹介いただけると幸いです。

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