「ほんとうの優しさ」を身につけたい
こんにちは。
前回は素敵な回答をありがとうございました。
おかげさまであれから夫との仲はおどろくほど良くなり、日々とても穏やかに暮らしております。
ハスノハの皆さまには感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。
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本題ですが、今回は「ほんとうの優しさ」についてです。
私は昔から気が弱く、言いたいことがはっきりと言えません。
たとえ相手のためでも、嫌われることや、相手が不快に思うこと、それを態度に出されることに怯えてしまい、そうなるくらいなら自分が我慢した方がいいと抑えこんでしまいます。
周りからは「優しい」「いい人」「器が大きい」とよく言われますが、ただ気が弱く、自分の芯になる部分がないだけな気がします。
具体的には、
・交差点で歩行者信号が青でも、左折待ちの車が多いと流れを止めてしまうのが申し訳なく思い、渡るのを諦めてしまう。
・相手に不快な思いをさせられたり、マナーやルールを犯していると感じても、それを指摘して相手が不機嫌になるくらいなら自分が我慢した方がいいと思い、適当にへらへら流してしまう。
・冠婚葬祭や病気などの正当な理由があっても、自分の代わりに誰かが仕事をすることが心苦しく、なかなか休みを申請できない。
などです。
どれも自分の中で抱えているもので、人に強要したりはしていません。
こんな風になってしまったのは、親の理不尽な暴力・虐待の中で育ったのが原因かなと思うのですが、それすらも「環境や人のせいにしてはいけない」と思い、何も言えずにいます。
逆恨みや暴力に怯え、へらへらと適当に受け流すことが「ほんとうの優しさ」だとは思えません。
祖母は、そんな私を「優しいところ、大好きよ。でも、なんでも笑って許すのが正解とは思わない。逃げてもいいから自分を大切にしなさい」と抱きしめてくれます。
後輩は、そんな私に「要領悪いですよ。苦しくないですか?」と言い、ハッとさせてくれました。
祖母や後輩のように、きちんと相手を見て、大切なことははっきり言える「ほんとうの優しさ」を身につけたいです。
「ほんとうの優しさ」とは何でしょうか。
私に足りないものは何でしょうか。
いつも「申し訳ない」と感じています。
強く、優しくなりたいです。
考え過ぎて疲れてきてしまいました…。
お助けいただけると幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
美学
"「ほんとうの優しさ」とは何でしょうか"
何をおっしゃる。
あなたの優しさに”ほんとう”も”ウソ”もない。
あなたはあなたの善意と良心に基づいて、今まで通りその場その場で精一杯の善き判断と行動をすればいい。あとで、あのときもうちょっとああすればよかった、こうすればよかったという反省点が見つかれば、次に機会に活かせばいいだけの事サ。
あくなき向上心には頭が下がりますが、まぁそう自分を卑下しなさんな。あなたには、あなただからこそできる、あなたならではの美さがあるはず。
<追記>
お褒めに預かり光栄です。
一言多く言葉の足りない若僧ですが、これからも勉強させていただきます。拝
質問者からのお礼
転落院さま
こんばんは、回答ありがとうございます。
私の優しさに"ほんとう"も"ウソ"もない、とのお言葉…じっくりその言葉の意味を考え、胸があたたかくなりました。
よく思い返せば、信号を諦めて遠回りした先でかわいい花や犬や猫などに出会ったりすることもあり、そこまで悪いことでもないのかも…。気が楽になった気がします。
また、いつも下を向いて「これではいけない」「なんとかしなくては」と感じていましたが、それを"向上心"だと捉えたことはなかったです。
これからはプラスに捉え、成長の糧にできたらいいなと思います。
大切な気づきを2つもありがとうございます。
余談ですが、私は転落院さまの優しくときに厳しくユーモアたっぷりな回答が大好きで、よく拝見しておりました。
まさか転落院さまから回答が来るとは思っておらず…この回答は私の宝物です。
私にしかない"美学"、胸に刻み、自分の気持ちを大切にして過ごして参ります。
質問してよかったです。また迷ってしまった時は、ぜひ知恵をお貸しいただきたいです。本当にありがとうございました。