なぜなんでしょうか。
姉には子供が2人います。
浮気をして離婚をすることになり旦那さんは多忙な為姉が子供達を引き取り暮らし始めましたが、次から次へと彼氏を作ります。
今の彼氏は既婚者で子供もいるそえです。
姉がどうなろうとどうでもいいですが、自分も親なら相手の子供の気持ちは容易に想像ができるとおもうんです。それは相手の人も同じだと思うんです。
私が子供の心配をすると「世の中には不倫してる人なんて五万といる。珍しい事じゃない」と言います。
なぜ正当化できるのでしょう。
また「子供の事は子供自身が色々決めればいいと思ってる」とも言います。
子供がそんな事できるでしょうか?子供が自分の道を選ぶのは気持ちも満たされ自立できる環境がある事が前提ではないでさょうか?いいセリフを言ったつもりでしょうが、ただの放棄としてしか聞こえません。
自分の人生を楽しむんだって言います。
これは、やることをやった上で初めて子供が「お母さん、自分の人生楽しんでいいよ」って言ってもらえるものではないでしょうか?
全部全部、身勝手なセリフにしか聞こえません。いい大人がなぜこんな不思議な言い分を正当化できるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
色情の因縁
お姉さんみたいな方を、自分は「色情の因縁が深い人」って呼んでます。
色情、ようは色恋沙汰のことです。
この因縁が深いと、色恋中心の世界観になります。
酸素のように、それがないと生きていけません。
だから自分を正当化できます。
相談者さんとは見えている世界が違うのだから、理解しようとしないほうがいいですよ。
子供の事については、半分は当たっていると思います。子供は親の所有物ではなく、子供自身が色々決めていくことは必要です。
問題は、お姉さんが色情因縁で子育てを放棄した場合です。
それもありえるようなら、どうか然るべき対応をとってあげて下さい。