今からでも生き直して素敵な人生にしたい
初めまして。
鬱を越えていつの間にか37歳になり、この先の指針を持ちつつも、消したい過去があるせいか不安が付いてきてしまいます。
生い立ちをふまえ、ご相談をさせて下さい。
中学生の時に親が離婚し、母に引き取られ、その後は母方の祖父母の家で暮らしました。
明るい家でしたが勉強など躾は厳しいほうだったと思います。
大学進学で上京し、入った寮をはじめ学校もなかなか厳しく何とか卒業する事はできました。
しかし、当時していた恋愛が原因でとても傷つき鬱病になり、卒業後はとりあえず地元に戻ってきました。
新卒時代はその精神状態から就職がなかなか出来ず、情けなくて、でも身体が動かなくて、調子の良い時だけ派遣で働きながら壮絶な20代を過ごしました。
30代になり、鬱もようやく良くなり長期で働き始めました。仕事・職場はそれなりに大変でしたが没頭でき、人間関係においても成長させていただき良い経験が出来たと思います。
しかし当時、鬱時代から悩みを相談していた男性と数年間付き合っていたのですが、結婚願望自体がなくなったと言われ婚約を解消されました。
その夢が毎日を支えていたのもあって、また精神的に不安定になってしまい、その後職場を退職してからは正直あまり記憶がありません。
彼とももう連絡はとっていません。
現在では育った母方の実家に帰り、田舎で少しずつアルバイトをしながら自分の人生を生きています。
たまに、昔の同級生などはきちんと就職し結婚しもう家庭を築いているのに…私も望んでいたはずなのに、結局出来ていない。一体これまで何だったのだろうと落ち込む事があります。
愛しい人に支えられ毎日を頑張る彼女達と、同じ女性なのに華のない自分がかけ離れていて恥ずかしく、グループラインも退室してしまいたいし、今は誰とも話したくないと思ってしまいます。
今は、人にきちんと対応するのは、生きる為に必要なお金をいただいている職場でだけにしたいです。
つくづく要領が悪く、まだキャパシティが狭い自分が嫌になります。
でもこの先、また没頭できる仕事を一生懸命頑張りながら自分を立て直し、この歳からでも優しくて素敵な人と出逢って、いつかささやかでも幸せな家庭がほしいです。
けれど今さらもう…と思ってしまう自分も居ます。これからでも生き直しは可能なのでしょうか。乱文をすみません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今のあなたをそのままで肯定すること
milky 様 相談ありがとうございます。
充分に安心してください。生きなおしが可能ですというより、あなた自身が今のあなたをそのままで肯定することで、今のままで輝ける自分になるのが可能だと、私は思います。
「つくづく要領が悪く、まだキャパシティが狭い」のは丁寧に物事が進められて、許容範囲がまだまだ大きくできるということですし、「没頭できる仕事を一生懸命頑張りながら自分を立て直し・・」とありますから、自立し希望をたくさん持てるということですね。
そう思ってください。
そして「華のない・・・」は思わなくてもいいです。誰でも何か華を持っています。ただ種のままなのか、芽がでて成長してやがて華になるかは、あなた次第です。愛しい人に支えられているから輝くのではなく、自分の華(種)を愛しいと思い成長させるから華が咲くのだと思います。つまり、他人依存ではなく自分で自分を愛しむ必要があるのだと思います。
鬱を乗り越えてきたあなたは、もう周りの目や他人と比較することで、自分を見失うことは解っているんじゃないかなと思いますので、自分のできることで、できることをして、少しでも出来たら、自分で自分を褒めるとか自分にOKを出すということで、今の不安定な気持ちを超えていけるんじゃないかなと思います。
そして、あなた自身が、自分に思いやりや優しさや愛情を向けて、自分に温かさを感じるように、そして愛情が溢れるようにしていれば、その優しさやに触れたり温かさを感じた人があなたに心を開いてくれます。やがて幸せを感じるようになるでしょう。このような変化に年齢は関係ありません。いつでも愛情や温かさを感じることができるのだと、私は思います。
追伸:お礼メッセージありがとうございました。自己を認めることが難しい時はまたご相談ください。何度でも繰り返すことも大切ですから。この度のご縁に感謝申し上げます。m(__)m
質問者からのお礼
大変親身になって御回答をくださり、ありがとうございます。聴いていただけてホッとしましたし、とても嬉しいです。
はい、鬱になった事から多くのことを学べたと今では思っています。
焦らず、自分のペースでの歩みの足元を見つめ、小さな成長をも祝いながら自己を認め育ててあげようと思います。
そして私という華が開く事ができるよう、一日を大切に、流れる時間を丁寧に豊かに感じながら過ごしていきます。