冷静な心を得るには
はじめまして。拙い文章で恐縮ですが、読んで頂けたら幸いです。
ここ1ヶ月、嫌な事やうまくいかない事が連続して起こります。
普段なら人生そういう時期もあるだろうと考えられるのですが、
自分にとって堪える出来事が多く、少し疲れてしまいました。
最初の頃は、至らない所は反省して次に活かそう、未来の幸せに必要な試練なのかもしれない、不幸が続いて嫌な事ばかりに目がいくだけかも…と前向きに捉えるよう努めました。
ですが、ようやく少しだけでも立直り前向きになれたと思った瞬間に悪い出来事が起き、それの連続で正直心が折れそうです。
最近では、あの時ああすればよかったと何度も後悔したり、頑張ろうとするのに嫌な事ばかりだと勝手に落胆したり、無能な自分を責めたり、悲観的なことばかり考えてしまいます。
そもそも、世の中には命や生活に関わる私よりもっと苦しい状況の人がいるのに、
これくらいで心が折れそうになってしまう弱い自分が本当に嫌いです。
どんな時も冷静でいられる強い心を得るにはどうしたらいいでしょうか。
思いのままに文章を書いたため、見苦しい点が多々あるかと思いますが、
御回答頂けたら幸いです。よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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心とはどういうものか
はじめまして。ご相談拝読しました。なんだか嫌なことが続き心がくじけてしまい、深い自己嫌悪にまで陥っておられるのですね。お見舞い申し上げます。
>どんな時も冷静でいられる強い心
を求めていらっしゃいますが、これまで長い人類の歴史の中でそのような心を手に入れた人はいるのでしょうか。私はおそらくいないのではないかと思います。なぜならば心とは固定的な実体があるものではなく、その時々の感覚を感受して想像したり考えたりする動的な作用であるからです。わかりやすく言えばブレブレなのが心なのですね。
ですから自分にとって都合の良いことがあれば嬉しくなり、そうでなければ苦しくなるのは心の構造そのものでしょう。
それに対し、「こう考えよう」「こう受け止めて前向きになろう」というは心のはたらきにさらに心のはたらきを上塗りしてなんとかしようとする方法論です。それには限界があるのでしょう。
一つの物事の事実に対し、何かを上塗りするのではなく、事実そのものとこそ冷静に向き合っていくことが大切なのかもしれません。それは自分の弱さを認めることでもあるでしょう。
それに一つ一つの嫌なことや上手くいかないことには必ず原因があるはずです。それは自分の力だけでもどうにもならないことも多いことでしょう。その事実を見つめ、受け止めていく力が、この思い通りにならない人生を歩む力でもあります。
それはけして屈強な心を手に入れるということでなく、心が弱いからこそ自分の心を拠り所とはしないということです。
浄土真宗の宗祖である親鸞聖人は比叡山で二十年間も厳しい修行をなされましたが、その自分の心には真実といえる確かさや清らかさなどというものは見当たらなかったと嘆いておられます。だからこそ自分のその心の弱さを明らかにしてくださる教えを拠り所として歩んで行かれたのです。
だからあなたも苦しい時にはその自分の苦しい心の範囲内でどうにかしようとしないことだと思います。私はお坊さんですから仏教に学ぶことを一番にオススメすますが、他にも本や映画などで他者の世界に触れるという方法だってあると思います。
それは他者の世界と自分を比べてどうにかしようとすることでなく、他者の世界をくぐることで自分が明らかになるということです。
抽象的にわかりにくいでしょうが、とにかく人間って、そして人間の心ってそんなに強くないのです。