過去のとらえ方
二か月前相談させていただきました。その節はありがとうございました。
前回はプロフィールを書いていなかったので一読いただけると幸いです
ここ最近まで、私にとって過去は未熟で愚かな自分、悲しかったことがすべてでしたが、卒業シーズンということもあり過去を改めて振り返ったとき自分は嫌な奴だったと思うのにみんな優しくて一緒にいてくれたこととかあれ楽しかったな、いっぱい遊んでたなといった良い思い出もあったと思うようになりました。
また今までの成績表からの先生の評価を見たり、その時の友達からもらった手紙や写真を見たりすると良いこと、自分が頑張っていたこともあったんだと思ったり、また成人式・同窓会に私は出席できなかったのですが、後から送られてきた写真で迷惑をかけた方々がみんなと笑顔で写っている様子を見て少しほっとしてしまったのです。
やったことは最悪できちんと謝れていない方がいることも酷いことですが、プロフィールに書いてあることをしてしまった時、やってしまったと思う気持ちがあったりその後繰り返さないように気を付けた行動をしたこともいくつか覚えており自分なりに頑張ったのかなと自分を許すわけではないですがいたわるような気持ちを少し持ってしまいました。自分の過去のとらえ方が少し変わったのです。
悪いことをしたひどい人ほどそういう過去を忘れ美化してのうのうと幸せに生きている、そんなの許されないとおっしゃっている方を時々見かけます。それに反論する気はなく、私もこんな酷いことしてた記憶があるのに楽しい記憶もあって今も幸せなんて過去の美化をしてるのかもと不安になります。残っている記録がみんな幸せそうでも、実はこの子もつらかったかも、もっと酷いことしてたかも、今もつらいかもと考える気になればいくらでも考えることができてしまいます。でももうわからない事や過去を無理やり思い出そうとしたり作り出そうとするのこそ何も生まれないんじゃないかとも今の私は思うのです。過去をすべて良かったこととし許された気になったり迷惑をかけた方々の前で昔幸せだったと話すつもりは全くないのですが、真実かはわからなくても、もちろん自分の悪かった事も受け入れ反省したうえで幸せだったと思う過去も受け入れてみてもいいのでしょうか?逃げ、綺麗事でしょうか?
長文乱文すみません。よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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受け入れて幸せに生きて下さいね
拝読させて頂きました。ご質問ありがとうございます。
あなたの文章「自分の悪かった事も受け入れ反省したうえで幸せだったと思う過去も受け入れてみてもいいのでしょうか?逃げ、綺麗事でしょうか? 」についてですが、
あなたが今までのご自分の考えたことや言ってしまったことややってしまったことについて決して目を逸らさず決して逃げず誤魔化さず嘘をつかずに誠実にお向き合いなさり、悪しき考えや悪しき言葉や悪しき行いを真摯な姿勢で受けとめて心から反省なさり、仏様や神様やあなたのご先祖様方に素直に告白して懺悔なさり、あなたが傷つけてしまった方々に誠実に謝り、これからの人生でそのようなことをなさらない様にと心から仏様や神様やご先祖様そしてあなた自身にお誓いなさり心がけていかれるならばあなたの心は清まり穏やかに安心して毎日を生きることができるでしょう。そしてあなたのご縁のある大切な方々と一緒に心から豊かに幸せに生きることができるでしょう。
私達は誰しもが未熟で愚かなものですから常に誠実に生きること、そして全てのものに謙虚に感謝する気持ちで生きることが望ましいです。
あなたはきっとこれからも誠実にお向き合いなさり日々我が身を振り返って反省なさることができるでしょう。そして心から幸せに生き抜くことができますからね。
あなたがこれからも素晴らしい出会いの中で皆さんと一緒に分かち合い心から幸せに生きていかれます様心よりお祈りさせて頂きます。
質問者からのお礼
Kousyo Kuuyo Azuma様
お言葉ありがとうございます。思い出せる限りの過去や自分と向き合い、すべてを受け入れながら今を進んでいけるよう頑張っていきたいと思いました。ありがとうございました