ふと、地獄に行きたくないなと思いました。
特に何の報せもありませんでしたが、ふと、何故か急に地獄に行きたくないな、と思いました。
気になって調べてみました。手段としては、
1:これまでの罪を懺悔し、反省すること。
2:今よりこれからを、より良く(正しく?)生きること。
3:自力ではなく他力として念仏を唱えること。(唱えることで心の闇を祓い、また祓って下さった仏様へお礼として唱えること)
4:他者の罪を許すこと。
5:心の闇(仏教では我執や煩悩に区分されるのでしょうか?)に囚われないこと。囚われて、心の闇に操られ、それが求めるままの行動をしないこと。
これ以外に地獄行きを回避する方法はありますでしょうか? また、自分の家の宗教は法華経なのですが、地獄を免れる念仏として「南無阿弥陀仏(浄土宗)」を唱えると良いと書かれていました。法華経の自分が唱えるのは場違いでしょうか?
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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七支分のお勤めと実践
すずかさま
地獄行きを回避する方法は、簡単には、「七仏通誡偈」の内容となります。
悪い行いをなさずに、善い行いに努め励みて、心を清らかに調えることとなります。
念仏や真言、読経等も大切ですが、それも上記の基本的なことへと繋げるためとなります。
地獄行を回避するには、回避するための縁をそれなりに調えなければなりません。
そのためには、最低でも、善業と悪業の割合を、善業が少しでも悪業よりも多くなるように調えることが大切となります。
問題は、それが今世だけの業ではなく、過去世も含めてとなります。
とにかく、現在は、人としての良い境涯に恵まれてあるのであれば、少なくとも過去世における業は、そんな悪いものばかりではないと考えることができますから、更により善い境涯を望むのであれば、しっかりと仏道に精進して取り組めば、地獄行はまず回避できるのではないだろうかと思います。
その仏道を歩むには、菩提心と帰依信心、そして、智慧と福徳の二つの修習が欠かせないものとなります。
では、日々の修養としてどのように行っていけばよいのかとなりますが、その手段として基本的には、七つの徳目を行うことが望ましいものとなります。七支分と言われるものであり、その内容は、「礼拝・供養・懺悔・随喜・勧請・祈願・廻向」となります。
挙げておられる手段もこの中に含まれてくるところとなります。
宗旨に合わせて行われると良いでしょう。(ただ、日本の仏教の場合では、在家勤行作法として正式にこの七つにて調えられてない場合もありますが・・)
そして、日常の実際の行いへと繋げていくことが大切になります。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
川口英俊様。この度は、私の質問にお答えいただけたというのに、人としての礼儀たるお礼を申し上げますのに、長く、長く月日を経てしまい、誠に申し訳ありませんでした。
愚かです。音信不通という大変無礼な態度でお返ししてしまった事、重ねてお詫び申し上げます。誠に申し訳ありませんでした。お怒りのことと思います。無論、責は私にあります。本当に申し訳ありません。
長く、申し遅れました。ご回答、お言葉を教えていただき、本当に有り難う御座いました。
そして幾度重ねて、失礼致します。どこまでも謝罪をさせてください。当然、許しなど無いと理解しております。心から、お詫び申し上げます。誠に申し訳ありませんでした。阿呆の私の愚かさで、川口様の善意を、汚してしまいました。本当に、本当に申し訳ありませんでした。
追伸を、失礼します。
私は現在、此方だけではなく、己全ての愚かさに、謝罪しかでませんし、すべきなのです。これまでの私が過ごしてきた人生に、何一つ、この世にも、都度お参りさせて頂いている神仏様にも、他様々な方々にも、全て、全ての方々に、私は何一つ、何一つ、善を有り難く頂いたとしても、それなのに私は、他の方々に、心優しい方や素敵な方、畏れ多き方々に、私はこの心身で善を示すなど、しておりませんでした。見せていたのは、仇返しや、身勝手や我が儘や、逆恨みや、傷やネガティブを利用して、人を騙し嘘を吐き物にしてしまおうとしたなど。ただ一切、何一つが悪でした。それが、救われたいなどと。どの口で、どの面で、お前は賽銭をお渡しして、合掌して、日々あの本堂や神前に居たのだと。
その愚かしい歪みが、この度、川口様への返答皆無の無礼や、前質問の内容や、お答えして頂けた様々な方への回答、それらに人の厭な態度などとして、酷く表れていたことと思います。ごめんなさい。本当に、申し訳ありませんでした。
私は塵なのです。誇張無く、幼い頃から、何十年も前から、私は塵なのです。
お目汚しを、失礼致しました。もしお読み頂けたならば、有り難う御座いました。