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お坊様方の葛藤や苦悩、教えについて。

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有り難し有り難し 16

はじめまして。
先日、こちらで投稿をさせて頂き、道標をいただきました。
一進ニ退の日もありますが、先ずは己のために少しずつ仏教の教えや考えにふれたいと思うようになりました。

貴重なお時間をいただく事になりますが、質問をさせて頂きます。
申し訳ありません。

沢山の問答を拝読致しました。
今は自分が出来そうな事から、出来る日には、はじめています。

変えられない過去やわからない未来、辛い事が浮かんだ時には、(体の都合で座る事ができなくても)目を閉じて今の空間や呼吸に集中してみる
心を静めたい時等、南無阿弥陀仏と心の中で唱えてみる
自分の考えに偏ったり、様々な執着を手放すように心に留める
など、容易くはない事柄もありますが、今の私にできそうな、まだまだ小さな一歩ですが、この事を知らなかった、しなかった時に比べると心のありようが違うと感じています。

お坊様方にも私達質問者と内容は違えど、苦悩や葛藤が過去におありだったり、今尚、もたれている事もおありかとは思いますが、過去に迎えられた苦しみや葛藤の中、どういう心の動きがおありでしたでしょうか?(葛藤の内容については複数の方々が見られるかもしれませんので、省いて頂いて大丈夫です。)

また、その時やその後、スッと心に入ってこられたり、感銘を受けられた仏教の教えや考え方が(仏教の教え以外の親、友人、恩師等からの言葉でも)おありでしたら、お教え願えますでしょうか?

お時間をさいて頂く事になり、申し訳ありませんが、可能でしたら宜しくお願い致します。

2021年4月7日 4:06

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「仏様と二人連れの人生」

こんにちは。

前回のご質問も拝見しました。
かなりのご苦労を重ねてこられたようです。
どうぞお体お大事になさって下さい。

私は、この仏教詩に多くのことを学びました。

『仏様のことば』(真宗大谷派常讃寺坊守藤場美津路さん作)

お前はお前で丁度よい
顔も体も名前も姓も
お前にそれは丁度よい

貧も富も親も子も
息子の嫁もその孫も
それはお前に丁度よい

幸も不幸も喜びも
悲しみさえも丁度よい

歩いたお前の人生は
悪くもなければ良くもない
お前にとって丁度よい

地獄へ行こうと極楽へ行こうと
行ったところが丁度よい

うぬぼれる要もなく卑下する要もない
上もなければ下もない
死ぬ月日さえも丁度よい

仏様と二人連れの人生
丁度よくないはずがない

丁度よいと聞こえた時
憶念の信が生まれます

南無阿弥陀仏

人間は、無いものねだりをするところがあります。
人と比べて肩を落としたり、優越感に浸ったり。
しかし、そのような人と比べてどうこうというものの見方、考え方は落ち着きがありません。常に自分より上か下かが気になる。

人生がどれほど好調に思えても、ある時に経済に困り、ある時に健康に困る。老いに困って、死に困る。人生の行く末が、幸が、不幸が人生の最後にならないと分からない。これは、とても不安なことです。また、人生いつかいいことがあるよ、という未確定な将来に希望を持ち続けるということも、先の見えない不安さに悩まされます。

つまり、私が作って、私が定めた幸も、不幸も、良いも、悪いも吹けば飛ぶような頼り無いものです。盤石そうに見えて、全くそうではない。

しかし、自分は「仏様と二人連れの人生」が既に恵まれている。
「丁度よくないはずがない」のです。
私が定めた幸・不幸、良い・悪いの二分法ではなく、「丁度よい」という事実だけがあります。

恵まれている、仏様によって定めていただいた「二人連れの人生」がある。
もう、私の人生はそれだけで既に十分なのだ、とはっきり知らせて下さった詩でした。

「葛藤や苦悩」、それは生きている限りあります。
しかし、私に大切なことを気付かせてくれている、私を支えていくれている「南無阿彌陀佛」(拠り所にせよ、この阿弥陀を)がある。常に自分が帰っていける拠り所がある。私の人生で最大、最高の言葉は、この六文字だと思っています(字数制限)

2021年4月7日 8:14
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有り難し
おきもち


釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...

質問者からのお礼

釋 悠水様

先ず、拝読が遅くなってしまいました事、誠に申し訳ございませんでした。

大切なお時間の中寄り添って下さいました事、労って下さいました事、本当にありがとうございました。

拝読させて頂き、涙が出ました。
今の私、過去の私に必要なお言葉であると思いました。

回答し辛いであろう私の現在の状態にも関わらず、御回答下さった事がとても有り難いです。

拝読させて頂くうちに思い出した事があり、驚きました。
小学生の頃だったと思いますが、祖父が教えてくれた仏教詩です。
細かくは全く記憶しておらず、恥ずかしながら近年は忘れておりました。
改めて文字として、全容を拝読することできました。

釋 悠水様のご回答はハスノハを知った先月から何度も読ませて頂いていました。
いつも、相談内容の核を見出され、寄り添いながら回答をされているお坊様だと感じていました。

私は近年、日に日に視野が狭くなっていたのだと今日改めて思いました。

「億年の信」「南無阿弥陀仏」
近年は外ではなく内に目を向ける事が難しく、出来ずにいる時間が続いておりましたが、今回掛けていただきましたお言葉全てを励みとし、「南無阿弥陀仏」の6文字を心の底から、感謝をもって出せるようになる日を待ちたいと思います。
苦しい時だけの拠り所ではなく、常に心にある様に。

釋 悠水様の最大最高のお言葉を教えていただきまして、本当にありがとうございました。

「お坊さんのことを知りたい」問答一覧

食前・食後の 言葉

ずいぶんと久しぶりに、こちらに伺いました。 あれからもう、二年半以上が経ったのかと、感慨深く。 現在は、実家からさほど離れてはいませんが、独り暮らしを始め、コンビニのアルバイトと、国からの障害年金・福祉ヘルパーさんたちに支えて頂きながら、自立生活・リハビリに努めています。 家族間の溝は、どうしても多少なりとて残ってはしまっていますが… 最近になって、父の世代の下に当たる 現在宗派を率いる世代 の方たちと、父経由ではない形でお話しをする機会を得ました。 今後の私のライフワークとなっていくだろう〝ヘルプマーク〟などについて興味を持って頂いて。 ちょっとずつ… 父とは違う形で、宗派 その他に関わっていくかもしれません。 本当は、〝つぶやき〟に書くべき徒然ではありますが。 字数制限に合いませんでしたので、こちらに書かせて頂きました。 【質問】 皆さまの宗派の、  ・食前の言葉  ・食後の言葉 など、宜しかったらお教えください。 各宗派・地域によって、瑣末に違ってくるだろう。 そして現在は、わりと廃れてきているのかな… という、この言葉を、少しでも残しておきたいと思いました。 ちなみにうちでは 「一粒一滴 皆 御恩。 不足を言ってはもったいない。 感謝で美味しく頂きましょう。 いただきます」 「今、尊い食を終わりて。 心豊かに、力 身に満つる。 この心身をもって、己が技に励みましょう。 ごちそうさまでした」 だったかな。 伝えていきたい言葉だと思います。

有り難し有り難し 23
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跡継ぎの悩み。お坊さんとしての在り方とは

 実家が寺院です。  住職をしている父親の在り方に疑問を覚えるとともに、自分の将来について悩んでいます。  現在、人々のお寺への関心は少しずつ薄れているものと思います。そんな中、私の実家は今でも多くの檀家の方々に支えられ、お寺として成り立っています。しかし、父はその有り難さが分かっていないように思うのです。    具体的な収入(僧侶が頂くお金を収入と呼ぶのは語弊があるかもしれません)を私は知りませんが、高級車を何台も乗り継ぎ、沢山の娯楽品を購入し、暴飲暴食…。具体的な発言があったわけではありませんが、「僧侶も職業だ。稼いだ収入を好き勝手使ってもいいだろう」というような気持ちが根底にあるように思います。  お寺の管理として沢山の工事も行い、綺麗なお堂を建てる一方で、景観として素晴らしい大きな木を何本も切り倒すようなこともありました。  非常に恥ずかしく思うとともに、悲しく、また、檀家の皆様に申し訳なく思います。そんな父の「粗さ」に母親が涙する日も増えました。ただ、私もまた、そんな父の援助があって、仏教科ではない別県の大学へ進学しているため、やっていることは本質的に父と変わりないのだと思うと、苦しくなるばかりです。  父親のような僧侶にはなりたくないと思います。ただ、日々誰かの死と向き合う仕事ですし、お寺としての管理も父なりに苦しんで考えているものと思います。大きなストレスもあるでしょう。父がどんな気持ちで高級車を乗り回しているのか、分かる気もします。改めて、現代におけるお寺や僧侶というものの在り方の難しさを感じます。「苦しすぎて私にはとても継げない。」「自由に暮らしたい。」「普通の家庭に生まれたかった。」そんなことを連連と考えてしまいます。  悩みやすい性格で、父親のことも悩みの一端に過ぎません。ただ、お寺の道に進むのか否か選択を迫られる時期が近づいてきており、「お坊さん」として生きていらっしゃる方々の言葉を聞いてみたいと思い投稿しました。  お坊さんとしてお金とどう向き合っているか。お寺への関心薄れる現代において、お坊さん・お寺として、今後どう在るべきか。また、悩んだ末に実家を継いだ方がいらっしゃいましたら、その決断に至るまでのお話など、相談としては漠然としており申し訳ないですが、何かご意見頂けると有り難く思います。

有り難し有り難し 111
回答数回答 6

お坊さんの息抜きについて

初めまして。 以前何かのきっかけでこちらのHPを知り、時々拝見させて頂いておりました。 本日はお坊さんの息抜きについて教えて頂きたいと思いまして、ご質問させて頂きました。 私は幼少期より、何故か周りから常に相談を受ける側でした。 それは老若男女職業問わずでして、ここ数年では特に、初対面にも関わらず重たいご相談を頂く機会がとても増えております。 勿論、報酬は頂いておりません。 ここからは私の勝手なイメージですが、基本的にご相談者は怒りや悲しみ等の「黒いモヤ」のようなものを大量に抱えていらっしゃいます。 その方が話し始めると、その方の体から黒いモヤが放出され、それを私が吸い取る事でその方の黒いモヤが少しずつ薄くなり、ある程度黒いモヤが薄くなると、その方は最初の頃よりスッキリした良い顔色になります。 反面、その黒いモヤを吸った私はとても重たくなり、時にはその方の怒りや憎しみ悲しみと同調してしまい、涙が溢れてきたり、頭痛やめまいに襲われる事もあります。 ここ数年は皆さんの悩みが重く、なかなか自分だけでは処理しきれず、私自身が他人から受け取る黒いモヤのせいで悩まされる事があります。 私は仏に仕える身ではございませんし、ごく普通の一般OLです。 見た目は怖そうだと言われますし、多少押しても倒れなさそうで強そうだと言われる程の体躯ではあります。 精神的にも強そうだと言われますが、それは不平不満を言ったところでなるようにしかならないと思っており、怒りや悲しみを持っても仕方がないので、それなら楽しい事を考えようと、自分のご機嫌を自分で取っているからそのように見えるのだと思います。 その為、自分が生み出した黒いモヤというものは割と簡単に放り投げる事ができるのですが、相手から相談として受け取った黒いモヤは時々しつこく、神社やお寺に行ってお参りをしたり、綺麗な景色を見ても取れない場合があります。 そのような取れない黒いモヤのカスが蓄積されていくと私自身も疲れていき、段々どうにもできないイライラが貯まっていきます。 そこでお伺いしたいのが、お坊さん方の息抜きについてです。 ご相談を受けられる事が多いと思いますが、その後の自分のメンテナンスはどのように行っていらっしゃるのでしょうか? 相手から黒いモヤを受け取っても、自分で処理できれば問題は解決できると思い、相談させて頂きました。

有り難し有り難し 54
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