「お坊様」になられた理由を知りたいです。回答受付中
いつも大変お世話になっております。
表題の通りなのですが…
お坊様になられたきっかけ、
なろうと思われたわけなどあったらぜひお聞かせ願いたいです。
私自身は、ハスノハをキッカケに仏教に非常に関心がありますが、
お恥ずかしいことに厳しいだろう修行を乗り越えられる自信が全くありません…。
そこでお坊様方のお話をお伺いしたく思いました。
お忙しい中恐縮ですが、お教えいただけたら幸いです。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ご質問くださり、ありがとうございます。
また、仏教に関心をお持ちいただいていること、そしてこうして丁寧にお尋ねくださったことに、心からうれしく思います。
私自身、お寺に生まれ育ったことが、僧侶という道に進む最初のご縁でした。日々の暮らしのなかに仏教があり、お経の声が響く空間で、法事やご縁の場を通じて、人の悲しみや祈りに触れながら育ってきました。
もちろん、はじめから「僧侶になろう!」と決意していたわけではありません。迷いもあり、違う道を歩んだ時期もありました。
けれど、次第に浄土真宗の教えに心を動かされるようになり、「自分が悩み、迷ったように、誰かの心にもそっと灯りを届けられる存在になりたい」そんな思いから、僧侶を志すようになりました。
ご質問にもありました「修行」についてですが、これは宗派によって大きく異なります。
たとえば座禅や断食、厳しい山での行などがある宗派もありますが、私が属する浄土真宗本願寺派には、そういった厳しい修行というものは基本的にありません。
浄土真宗では、「人間は煩悩を断ち切れない存在である」という前提に立ちます。
だからこそ、「修行によって悟りを開く」のではなく、“煩悩まみれのまま、救われていく”という他力の教えが中心にあります。
僧侶の資格取得についても、他宗派と比べると比較的ハードルは高くありません。
本山での研修(一定期間の受講と実習)を経て、必要な学びを得れば、どなたでも僧侶になることは可能です。
「修行は無理かもしれない」と感じるお気持ち、とても素直で、正直なものだと思います。
でも仏教の世界では、“できるかどうか”よりも、“向き合いたいと願う心”を大切にしています。
仏教に関心を持たれたこと、こうして言葉を届けてくださったこと、それ自体が、すでに仏縁の中におられるということだと、私は思います。
どうぞ、焦らずに、ご自身のペースで仏教とのつながりを深めていただけたら嬉しいです。
またいつでも、お声かけください。
僧侶である夫と結婚したからです。
きっかけは、僧侶である夫と結婚したからです。夫は兼職で会社員でもあったので、義父(前住職)の往生を縁に、私が住職を継承しました。
嫁ぐ前から、わかっていたことでしたから、少しでも力になりたいと、学びを深め準備を進めていきました。
結婚すると決めたら、覚悟って決まるものですね。
不思議なご縁で、僧侶として生きています(*´꒳`*)
学ぶことはマイペースでいいんじゃないかしら。
私もマイペースに努めています。