hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

千原せいじさんについて

回答数回答 4
有り難し有り難し 28

先日ネットニュースで、千原兄弟の千原せいじさんが僧侶になったと記事で見ました。
そこで興味本位での質問なのですが、お坊さんって、今日からお坊さんになります!と宣言したら、お坊さんになれるものなのでしょうか?
ある程度の修行などをしないと、お坊さんと名乗れないのでしょうか。

勝手にめっちゃ苦しい修行をしてお坊さんになるイメージだったので気になりました。
仕組みがよく分からないので、教えてください

2024年5月17日 23:59

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そうですよ。

その通りです。
自分で僧侶と称するならば、それは僧侶なのです。

それは何事においてもそうなのです。

名乗るのは自由でありますが現実、それに相応する資格や免許を含める、他からの信頼などを得ていくには、やはり仏教の勉学が必要となります。

もちもんセイジさんの詳細は不明ですが、現実的には、メディアを通じて発表されることは、師僧(師匠)とご縁にて「得度(仏門に入るための儀式)」を行ったのでしょう。

この得度という儀式はあくまで僧侶になったけども、僧侶の仲間入りみたいな感じでとっていただいたらと思います。
日本仏教にもいろいろな宗派(浄土宗、日蓮宗、真言宗などなど)ありますが、その宗派の規定より資格や試験などを受けるために修行がともないます。
単立という宗派をもたない寺院などもたくさんあります。
しかし葬儀など現実に依頼される際には、やはり伝統格式ある宗派にお願いされるのが多く、安心安全な宗派・僧侶に依頼したいものでしょう。

一般に住職と呼ばれる人たちは、皆「教師」免許をもちます。(文化庁に登録される教師)
セイジさんも仏縁があって今回、僧侶になったことですので、元々人脈もあろうかとも存じます。仏道は険しく厳しいですが、それも含めた上で入門されたのでしょう。

自称・僧侶といって、どこの寺院にも所属していない人、修行などもしたことがらない見かけ僧侶も世には存在します。
托鉢などしている人もどこに所属しているのかも分からないものです。

人の弱みに付け込み、宗教の力でお金などを搾取する思考性がなければ、特に問題にはならないでしょう。

仏道は険しいですが、学べば学ぶほど自身が無知であることを知らされます。
2500年釈迦から続く仏教の教えは、人を救いながら、自分も救われるという仕組みとなっている慈悲の境地で生きていくことができるのです。

合掌

2024年5月18日 0:35
{{count}}
有り難し
おきもち

祈るこころに佛心が宿る。 変化多き時代を生きる私たちにできること、それは...
このお坊さんを応援する

お坊さんになるのは簡単ですが、続けるには努力が必要です

「お坊さん」は国家資格ではなく、自治体の首長が許認可するようなものでもなく、伝統教団の○○宗僧侶という立場も○○宗内部かぎりで認定されるものです。極端なことをいえば、「○○ソムリエ2級」といったような民間資格と違いはありません。
宗教法人としての○○宗や○○寺という存在は国や自治体に認証されるものですから公的な裏付けがあるものですが、「○○宗の僧侶になる」ということ自体はあくまで私的なものです。
ですから誰でも、どの教団に所属することもなく単独であるなら、ある日突然「私は人生最高仏教宗の開祖で僧侶です」と宣言すれば、それ自体を否定する理由はありません。

千原せいじさんの場合は、伝統教団である天台宗で正式に得度されているそうですので「ただ言っているだけ」ではないようです。
それぞれの教団で程度の違いはありますが、基本的には誰でも「得度」してその教団の僧侶になることはできます。ただし、お寺を持って住職になったり実際に布教活動をしていくためには、その為に必要な知識、経験が必要です。○○宗の僧侶としてその条件を満たしているかどうか、それぞれの教団でチェックされ認められなければ実質的に活動を続けていくことは難しいでしょう。
自動車の運転免許を取ってペーパードライバーになることは誰でもできますが、実際に安心安全に運転し続けるには知識、経験が必要であることと少し似ているかもしれません。

2024年5月18日 5:49
{{count}}
有り難し
おきもち

新潟県上越市、龍興山宗恩寺住職。
このお坊さんを応援する

僧侶の弟子が僧侶

基本的には、仏教僧侶の弟子が仏教僧侶を名乗れます。
だから、僧侶の師匠の師匠の師匠を遡っていくとお釈迦様に行き着くと思われます。
出家して師僧に弟子入りして戒名(法名)をもらうことを得度と言い、得度を受けた者は各宗派の僧籍に登録されます。
その時点では、絵本やアニメでお馴染みの子供時代の一休さんと同じ小坊主の状態ですので、まだ教師資格(住職になる資格)はありません。
教師資格を得るためには、各宗派で定められたカリキュラムを修了し、必要な修行を終える必要があります。
なお、僧侶にならず在家のままでも所定の儀式を受ければ戒名(法名)をもらえますし、生前に出家できなかった人を弔う際にも儀式を行って戒名を授けることが多いですが、その場合は僧籍登録はしません。

2024年5月18日 4:13
{{count}}
有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
このお坊さんを応援する

ご質問拝見させて頂きました。確かに僧侶にも段階があると思います。基本的には真宗では「得度」というのが一番最初にあり、それが出家にあたります。つまり俗世をすてて僧侶になる、ということ。続きまして、「教師」という資格を取得することになりますが、これが大学などで学び資格が必要です。これは簡単に言うと法話が出来ることです。本山の意向を一切知らずに法話されては困るためこのシステムなのではないかと私は思っています。僧侶になるだけでしたら、得度で済みますが、イメージは小坊主さんです。修行僧になるという状態ですかね。宗派により考え方が違うでしょうからこの限りではないでしょうが、ご参考までに。

2024年5月18日 5:32
{{count}}
有り難し
おきもち

真宗大谷派の僧侶です。2024年4月25日にこちらに登録させて頂きました。...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

皆様、ありがとうございました。
ニュースで見ていた内容を更に知ることができました。
またお坊さんを少し知ることができて嬉しいです

「お坊さんのことを知りたい」問答一覧

指圧の心 母ごころ 圧せば命の泉湧く

先日、hasunohaのお坊さんの法話をお聴きする機会に恵まれ、お寺の全国の集まりに参加することができました。 バスの中で、お咳の止まらなくなった方がいらしたので、会場に入る前のほんのわずかな陰で、兼ねてから勉強していた治療学(指圧)の実践をしました。咳の原因は、後ろ向きに体をよじって、緊張気味でうつむきがちなの多くの御年配の方々の顔を見ながら高い声を出し続けたために、酷使したお喉に邪気が…自然と絞り出すように咳が体のサインとしてあらわれたようにお見受けしました。 ですから、バスを降りた時、ゆっくりと後続の方々がお出でになるまでのほんの僅かなひとときに、咳に効くツボを快圧、と、さらにその場で、腹式呼吸をわかりやすくイメージできるように言葉にしてお伝えした結果、その後の本番では呼吸が乱れる様子なく、お咳も一切出ることなく、落ち着きを取り戻された模様でした。 このように「診断、即治療」をモットーとした、指と心が成す思いやりの予防医学、日本の伝統医療をお寺でも継いでいきたい、故に学校へ入りたいと、前から仏さまにお願いしてきたことが「あなたならできる、思ったことをすぐに行動に現してご覧なさい」と仏さまのお達しどおりに動いた結果、ひとつの望みが実現した一日でした。 余談ですが、午後の次第まで進み、お席を立たれた時に「お咳、治りましたね」と具合をお尋ねしたところ、「実は、〇〇性〇〇炎で…」その方の既往について、さらにお話を伺うことができました。「からだの炎症は、こころの炎症。心身一如」おそらくそちらも、治す方法がある、こうすれば良いのでは、と直感した訳ですがまだまだ修行中なので、学会の指導員の先生や、現役で治療に当たられている先生にお尋ねしながら自分の中の引き出しを更に広げたいと、意欲が湧き出ている母の日です。 徒然となりましたが、本来ならばその日は仕事を休めない日でしたのに、hasunohaのお坊さんがお導きくださったお陰で、上司も先輩も送り出してくださり、お寺の参道で手に入れたお土産も喜んでくれました。一日、朝早くから皆様方とご一緒できたことで、夕方仕事先へ戻ったあとは、身も心も軽く仕事が一段と見違えるように捗り、たくさんのヒントが心に浮かび、職場でさらに良い評価を紡ぐことにも繋がっています。 その節は本当にありがとうございました。 今後とも、よろしくお願いします。

有り難し有り難し 21
回答数回答 1

他人がやってる寺を兼務で引き受けたくない

40代独身で、500件ほどの檀家がいる田舎の寺の住職をしております。 近所の住職死亡後、やり手のない寺を数件、兼務しており、合わせると500件ほどになります。 もともと別の自宅住まいでサラリーマンをしてましたが、途中親が病気にかかり、長男で跡取りだった私に、やってくれと親から頼まれて継いだのがきっかけで、仕事を辞めて継いだのですが、もともと私は他人とコミュニケーションを取るのが苦手なので、現在寺の檀家との関りが大変で、葬式が入る都度、寺の仕事が嫌でたまりません。 そのような状態で、精神科に通院しながら、精神安定薬と睡眠薬を処方してもらいながらなんとか寺の仕事をしてます。独身の姉にも協力してもらい、私が檀家の対応全般、姉は裏で火事全般しながらどうしてもの時だけ檀家の対応・・・みたいな感じでやってます。 近所に檀家100件にも満たない兼業住職がおり、結婚してますが子供に恵まれなかったようで、私はその寺のほうるいという立場になってます。 その寺の行事を手伝っているのは私だけで、ほかにもほうるい住職が数名いますが、書類の名前だけで、何かあっても一切かかわりたくないような状態になってます。 その住職が近々危なく、後もいない状態で、その住職の兄弟などの身内はいても、皆仕事をしており、寺なんかやりたくないと皆いっております。 今後その住職はなくなった際は、ほうるいの私がその寺を兼務として引き受けないといけないのでしょうか? 今現在500件ほどの檀家の対応を私と姉で行っており、相当きつく、これ以上ほかの住職がやってる寺の檀家のめんどうまで見れません。 正直な話、もう今なんとかやってる自分の寺の檀家の対応だけでも相当大変なので、これ以上ほかの寺の檀家まで兼務で押し付けられたくなく、関わり合いになりたくありません。 こういった場合、今後その住職がなくなった際、その寺の兼務を断ることは可能でしょうか? 本山に事情を説明し、頼めばだれか代わりの住職を派遣してもらい、後を継いでやってもらうことはできるのでしょうか?

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

お坊さんの勤務形態について教えて下さい

離婚問題で悩んでいる時、バツイチのお坊さんと知り合いました。最初彼から遊びの誘いがあり。失礼な人と断りました。今は友人として付き合っています。 友人関係が続いたのは、後日先日の行動が人として大変失礼な対応だった。反省していると、彼から謝罪があったからです。その際にも、ちゃんとしたお付き合いの話はありませんでした。 私は元夫から多種のDVをうけ男性不信になりました。いつか恋愛出来たらいいなと夢見ながら、男性が怖いです。結婚は絶対に無いです。 加えて彼は寺の跡取りで一緒に家庭を築き、寺に入り子供を産める人を探しています。私は子供を産むこともできません。だからあえてハッキリさせないようにしてました。 その後仲良くなるにつれ、プライベートを明かさなかった彼が以前より私にプライベートを見せるようになりました。気付けば毎日メールで連絡をし、月2~3回程度、昼夜時間を割いては健全に遊んでいます。トキメキはないけど気持ちは【凪】です。友達以上恋人未満の1番いい感じの時 自然と今以上仲良くなる予感があり、仲良くなりたそうな行動が見えたり、泊りがけで旅行に行くような話もチラホラ、ただ、お坊さんの勤務形態ってどうなんでしょう? 私は会社員で有給もあります。毎月月末に翌月の予定が未定。次のデートの約束は大抵決まりません。休みがまだ決まらない。分からないって、そんな事ありますか?もうずっとそんな状態で、深く付き合いたくないから、遠回しにそう言ってるのだと思うようになりました。 嫌なら嫌と言って欲しいのに旅行は行きたい、遊ぶのも仕事終わりなら全然大丈夫、凄いケチなのに自分から遊びにも誘って車も出してくれます。 どうゆうこと?と、モヤモヤしてますが、でも誰にも聞けず、彼もはっきり言わないので、やっぱり遊ばれているのでは?と思う反面、彼は嘘をつくのがべらぼうに下手で、私には嘘をついた事がない為、もしかして本当なのかも?と思いたい気持ちからこちらにお聞きしました。 休みが分かりにくいって業界的に本当ですか?何でですか?ちなみに彼は実家の住職をしながら、別のお寺に本業で務めています。本業の休みの日に実家で法事をしたりしています。 この関係がハッピーエンドにはならないと分かっていますが、一緒にいるだけで気持ちが穏やかになれる相手です。嘘ばかりの元夫の毒が抜けていく気がして魂が救われています。

有り難し有り難し 14
回答数回答 1

尊重とはどこまでですか?

ハスノハのお坊さまのおかげで「他者を尊重することが大事」なのはよくわかったのですが、尊重とはどこまでするものでしょうか? モラルに欠けた発言なども尊重するべきなのかと考えたりします。そもそもモラルというのも曖昧だと思うのです。人によって違うと思うので。 「平和だからこそ戦争が必要だ」なんて言う人もいると思うのです。これは一般的には理解されないし尊重されないことだと思いますが、「他者を尊重することが大事」ならそれすらも認めることになるのかなと思います。 これが"尊重"なら、もし私が仮にいじめを受けたとしても「これ(いじめ)すらもその人の一部なのだな...」と思うのではないかと思います。 いじめや犯罪や浮気や不倫など、世界の"事"全てです。 社会のルールを基準にするのかな?とも思いましたが、それは"社会の思い込み"の可能性もあると思いますし、何よりそれは「他者を尊重できている」のでしょうか? 社会のルールという名の"正義"で個人個人を存外に扱っているのでは?と思います。 倫理も一緒です。全て人によって違うと思うのです。 例. Aさん「別に人をいじめてもいいでしょ?」← これも"Aさんの考え"で「Aさんの一部」なのかなと捉えてしまいます。この場合、Aさんは他者を尊重できていないと思います。ですが、それを注意すればAさんの価値観や考えを否定している(尊重できていない)ことになるのかなと思います。 そうなると無関心に見えると思いますし、この文章の通り「〜と思います」や「〜なのかな」などボヤっとしてハッキリしなくなると思います。 その結果、他人が「〜でしょ」や「〜です」と言うことに神経質になると思います。なぜなら、それがその人の思い込みの可能性があるからです。 でも、その人の思い込み = その人の意見なのでモヤモヤしても無理して尊重する。 尊重とはどこまでですか? 行き過ぎれば無関心に見えてきます。"相手とは違う自分の意見"を言えば否定されていると思われ、注意すれば「他者の意見を尊重できていない」ことになり、じゃあ何も言わないとなれば、無関心と見える。 お坊さまは尊重する際、何を"基準"に持ってらっしゃいますか? 乱文で申し訳ございません。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ