千原せいじさんについて
先日ネットニュースで、千原兄弟の千原せいじさんが僧侶になったと記事で見ました。
そこで興味本位での質問なのですが、お坊さんって、今日からお坊さんになります!と宣言したら、お坊さんになれるものなのでしょうか?
ある程度の修行などをしないと、お坊さんと名乗れないのでしょうか。
勝手にめっちゃ苦しい修行をしてお坊さんになるイメージだったので気になりました。
仕組みがよく分からないので、教えてください
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そうですよ。
その通りです。
自分で僧侶と称するならば、それは僧侶なのです。
それは何事においてもそうなのです。
名乗るのは自由でありますが現実、それに相応する資格や免許を含める、他からの信頼などを得ていくには、やはり仏教の勉学が必要となります。
もちもんセイジさんの詳細は不明ですが、現実的には、メディアを通じて発表されることは、師僧(師匠)とご縁にて「得度(仏門に入るための儀式)」を行ったのでしょう。
この得度という儀式はあくまで僧侶になったけども、僧侶の仲間入りみたいな感じでとっていただいたらと思います。
日本仏教にもいろいろな宗派(浄土宗、日蓮宗、真言宗などなど)ありますが、その宗派の規定より資格や試験などを受けるために修行がともないます。
単立という宗派をもたない寺院などもたくさんあります。
しかし葬儀など現実に依頼される際には、やはり伝統格式ある宗派にお願いされるのが多く、安心安全な宗派・僧侶に依頼したいものでしょう。
一般に住職と呼ばれる人たちは、皆「教師」免許をもちます。(文化庁に登録される教師)
セイジさんも仏縁があって今回、僧侶になったことですので、元々人脈もあろうかとも存じます。仏道は険しく厳しいですが、それも含めた上で入門されたのでしょう。
自称・僧侶といって、どこの寺院にも所属していない人、修行などもしたことがらない見かけ僧侶も世には存在します。
托鉢などしている人もどこに所属しているのかも分からないものです。
人の弱みに付け込み、宗教の力でお金などを搾取する思考性がなければ、特に問題にはならないでしょう。
仏道は険しいですが、学べば学ぶほど自身が無知であることを知らされます。
2500年釈迦から続く仏教の教えは、人を救いながら、自分も救われるという仕組みとなっている慈悲の境地で生きていくことができるのです。
合掌
お坊さんになるのは簡単ですが、続けるには努力が必要です
「お坊さん」は国家資格ではなく、自治体の首長が許認可するようなものでもなく、伝統教団の○○宗僧侶という立場も○○宗内部かぎりで認定されるものです。極端なことをいえば、「○○ソムリエ2級」といったような民間資格と違いはありません。
宗教法人としての○○宗や○○寺という存在は国や自治体に認証されるものですから公的な裏付けがあるものですが、「○○宗の僧侶になる」ということ自体はあくまで私的なものです。
ですから誰でも、どの教団に所属することもなく単独であるなら、ある日突然「私は人生最高仏教宗の開祖で僧侶です」と宣言すれば、それ自体を否定する理由はありません。
千原せいじさんの場合は、伝統教団である天台宗で正式に得度されているそうですので「ただ言っているだけ」ではないようです。
それぞれの教団で程度の違いはありますが、基本的には誰でも「得度」してその教団の僧侶になることはできます。ただし、お寺を持って住職になったり実際に布教活動をしていくためには、その為に必要な知識、経験が必要です。○○宗の僧侶としてその条件を満たしているかどうか、それぞれの教団でチェックされ認められなければ実質的に活動を続けていくことは難しいでしょう。
自動車の運転免許を取ってペーパードライバーになることは誰でもできますが、実際に安心安全に運転し続けるには知識、経験が必要であることと少し似ているかもしれません。
僧侶の弟子が僧侶
基本的には、仏教僧侶の弟子が仏教僧侶を名乗れます。
だから、僧侶の師匠の師匠の師匠を遡っていくとお釈迦様に行き着くと思われます。
出家して師僧に弟子入りして戒名(法名)をもらうことを得度と言い、得度を受けた者は各宗派の僧籍に登録されます。
その時点では、絵本やアニメでお馴染みの子供時代の一休さんと同じ小坊主の状態ですので、まだ教師資格(住職になる資格)はありません。
教師資格を得るためには、各宗派で定められたカリキュラムを修了し、必要な修行を終える必要があります。
なお、僧侶にならず在家のままでも所定の儀式を受ければ戒名(法名)をもらえますし、生前に出家できなかった人を弔う際にも儀式を行って戒名を授けることが多いですが、その場合は僧籍登録はしません。
ご質問拝見させて頂きました。確かに僧侶にも段階があると思います。基本的には真宗では「得度」というのが一番最初にあり、それが出家にあたります。つまり俗世をすてて僧侶になる、ということ。続きまして、「教師」という資格を取得することになりますが、これが大学などで学び資格が必要です。これは簡単に言うと法話が出来ることです。本山の意向を一切知らずに法話されては困るためこのシステムなのではないかと私は思っています。僧侶になるだけでしたら、得度で済みますが、イメージは小坊主さんです。修行僧になるという状態ですかね。宗派により考え方が違うでしょうからこの限りではないでしょうが、ご参考までに。
質問者からのお礼
皆様、ありがとうございました。
ニュースで見ていた内容を更に知ることができました。
またお坊さんを少し知ることができて嬉しいです