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人を信じてもいいのでしょうか

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有り難し有り難し 14

先日信じていた彼氏に浮気されたことについて相談ささて頂いたものです。

その後いろいろ考え、他のこともあり、確かに彼は私のことをなにも思ってくれていなかったんだということを理解しました。
事件があって、改心してくれるなんて思っていた私がお馬鹿さんで、人は変わらない、信じる方が痛い目をみるんだなということも勉強になりました。

たしかに、彼は懲りていないのだということも実感しました。捕まったため、改心するだろうと思っていた私の価値観と彼の価値観がきっとズレていたのでしょう。彼が何を考えているかわかりませんが、私は、辛い時にいてくれた人を大切にしようと思うのですが、彼にとって留置所にいたということはきっと辛いことではなかったんでしょうね。
最後の話し合いすら応じてくれず、お別れしましたが、一緒にいた期間は一体なんだったのかわかりません。

彼ともう一度、なんて思う気持ちはまったくありませんが、裏切られた悲しさや虚しさが溢れてきます。

彼を選んだことに後悔はしていませんが、彼の中できっと私の全てがなかったことにされているのかと思うと悲しいです。また、楽しかった過去の時も他の人と繋がっていて、私に言った言葉や行動は、全て嘘だったのかと思うと辛くて、私は一体何をしていたのか、自分が汚いと思ってしまいます。

私が悩み苦しんでいても、彼らは何も思わず普通にして生きていることが辛いし、なんでそんなに幸せそうなのか、笑えるのか、全て壊れてしまえばいいのに、、、そんな風に思ってしまう自分ももっと嫌いになりそうです。

何も考えないようにと歩いていても涙が溢れてくるし、この涙は悲しさなのか悔しさなのか受け入れられていないのかわかりません。

もう人を信じないで1人で生きる。恋はしない。そんな風に考えた方が楽でしょうか。でも、きっと歳をとって周りが結婚をして、、それをみながらまた辛いと思ってしまうような気もします。浮気はされるものなんて思って疑って生きていくなんて辛すぎます。
一途に信じた人が悲しい思いをするのはどうしたらいいのでしょう。

辛くて辛くてたまりません。
私は幸せにはなれないのでしょうか。
どうやってこれから過ごしていくのがいいでしょうか。どのような人なら信じてもいいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

全ての人が同様とまで悲観する必要はありません

こんにちは。

元彼氏さんへの思いを断ち切ったのですね。
元彼氏さんは、「浮気」、会社では「クビ」、また「留置所」に勾留されるような行いをしていた人のようです。断ち切って正解だと思います。

ただ、その決断に伴って「裏切られた悲しさや虚しさが溢れてき」て、元彼氏さんの人生が「壊れてしまえばいいのに」という感情も湧いてくる。その一方で、「そんな風に思ってしまう自分ももっと嫌い」という、自分を責める感情も湧いてくる。こういった、とても複雑な心情の行ったり来たりがあるのだと推察します。

あなたは、「人を信じてもいいのでしょうか」と問うています。
とても辛い出来事があっても、なお人と深く繋がりたいというお気持ちからでしょう。

私は、「信じてもいい」と思います。
ただ、それは自分の当然のように思っている前提を柔軟に見直すという上でのことです。

「事件があって、改心してくれるなんて思っていた私がお馬鹿さん」と書いています。そう、「改心」しない人はいると思います。これは、このハスノハの不倫などの問題一般に共通するのですが、罪悪感のない人には「改心」は生じないのです。何が悪いか分かっていない人は、或いはこれくらいの悪なら許されるという甘い現状認識から抜けられない人に、「改心」はありえません。

こういう人は、都合の悪い状況になった時、反省してみせて己が立場を回復しようという実利的な言動に出ることはあります。これを、正直な人は反省した、「改心」したと受け取ってしまうのです。

これは、正直な人、誠実な人がもつ当然の常識と、そうでない人のズレから生じる行き違いです。

あなたは「人は変わらない、信じる方が痛い目をみるんだな」と「勉強」したと書いています。しかし、これは特殊な例を一般例に拡大しすぎているように感じます。どちらかと言うと、罪悪感を感じ、反省し、償おうとする人が大半だと思いますから。

現実的に、罪を自覚しない人が居る。
罪を犯しても、人を傷つけても平気な人が居る。
その事実を、自分のものの見方に反映する。

しかし、それは全ての人が同様とまで悲観する必要はありません。

悪いことを悪いと認められる。
失敗したら償おうとする。
相手の心に敏感であろうとする。
誠実に接しようとしている。

そういう人は必ずいます。
そういう人を「信じてもいい」のです。

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有り難し
おきもち

釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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質問者からのお礼

時間が経つにつれて、彼と断ち切ることができて本当によかったと思うことができるように少しずつなってきました。
いつの日か誠実に接してくれて、悪いことを悪いと思える人と会えるように前向きに過ごして行こうと思います。
相談して本当によかったです。とっても心が救われました。ありがとうございました。

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