本音で話せる人が欲しい
私には、旦那と二人の子供がいます。
暮らしは楽ではありません。
ですが、慎ましやかな暮らしは気に入ってはいます。
ですが、私が死んだあと発達障害の娘を守る人がいません。
旦那の家族からは、私の息子のみを面倒見ると言われてます。
なので、万が一私が死んだあとに娘が一人で生きていけるように
生きる術や、人を繋いでいます。
私は本音が話せません。
家族にさえ、話せば義理の家族からバッシングがくるため、精神的に追い込まれた時もあります。
自分の考えを話せば、(口が達者だから、誠意の無い口先だけの言葉)
そう言わ続けて、心が潰されそうになります。
誰にも話せない…怖い…ただ、穏やかに暮らしていきたい
いつか自立して娘や息子を育てあげるのが私の目標です。
離婚も今は考えてます。
内容がまとまらずすみません、でも本音で話して、心から信じ合える人達と人生を共にしたいです。
お釈迦様に毎日穏やかに過ごせるよう毎日祈り、一日の終わりは感謝する日々です。
旦那と別れて、娘と息子と慎ましく暮らすべきでしょうか
明日に不安を感じる、人が信用できない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
御家族でよくよく話し合って下さい…
ご相談のタイトルは『本音で話せる人が欲しい』とありますが、ご相談内容は『旦那と別れて、娘と息子と慎ましく暮らすべきでしょうか』と結ばれています。
ではご相談のご主旨は?…いいえ、おっしゃりたいこと、またお気持ちをお察し致します。本当にいろいろとお辛いことですね…。
仏教では、知り合い・友人のことを「知識」と言います。そして善い友のことを「善知識」とも言うのです。友人は「知識」である…人に対してなんと真摯な受け止め方でしょうか。
そして、それだけ善き友人を得ることが難しい証でもあります。
本音で話したい…おっしゃる通りです。皆がそう思っています。それは、本音で話せる友人との出遇いの難しさの表れでしょう。
そしてそんな大切な(友)人と出会うためには、それこそ自らの『知識』を深めるしかありません。自ら学び、経験し、磨き上げ、より善き人(存在)となりましょう。正に「類は友を呼ぶ」のです。
尚、娘様のこと本当にご心配のことと存じます。これまでされてきたように、出来る限り寄り添って上げて下さいませ。
でも、それ以上の「出来ないこと」をする必要はありません。出来ないことをやろうとすれば、ただ疲労困憊するばかりです。
『私が死んだあとに娘が一人で生きていけるように生きる術や、人を繋いでいます』…もういろいろと手を尽くしていらっしゃるのですね。
それで充分ではないでしょうか。あなたの命終わりて後のことは、あなたにはどうにも出来ません。何ともしようがありません。だから、そこは悩むべきではないのです。
まずは夫君との話合いをなさって下さい…もっと「密に」お話になって下さい。夫君の御家族はそこでは関係ありません。当てにもしないことです。当てにするから不安になり、腹も立つのです。
『慎ましやかな暮らしは気に入ってはいます』…そんな今の暮らしを続けていきましょう。
そのために、どうか御家族4人もっともっと「本音を出して」話合い、今後の家族の在り方を確認なさって下さい。それは大変な作業で、でもとても大切で楽しい時間でもあります。
御家族皆様のご多幸を念じ上げております…。
質問者からのお礼
温かい言葉あげないありがとうございます。
娘の今後と家族については旦那としっかり話してみようと思います。
今も娘がいろいろと、悩みを抱えている様なので、今は子供達をしっかりと温かく受け止め守っていこうと思います。
あまり、他所様の目を過剰に気にせず、和尚様がおっしゃって下さった。
娘の今の現状を受けとめ今できる事を継続できるように頑張ります。
本当にありがとうございました