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離婚すべきかどうか

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有り難し有り難し 12

自分勝手な内容ですが、ご相談させてください。

結婚5年目の既婚者です。子供はいません。

2年前、職場でのパワハラと主人からの無視で、心身共に疲弊していたときに相談に乗ってくれていた独身の方と不倫関係になりました。

性格も合い、私の気持ちに寄り添って優しく包んでくれる彼に惹かれてしまい、離れることができずにズルズルと関係が続いています。彼からは結婚したいと言われており、待たなくていいと伝えましたが、待っていると言われています。

その間主人とは徐々に良好な関係に戻り、元の優しい主人に戻ったのですが、優しくされる度に罪悪感を感じています。

一度離れて自分がどうしたいか考えてみようと別居したのですが、主人が心配で気になってしまい今は戻って一緒に生活してます。これはもう情なのでしょうか。

このような状態をずっと続けたくはなく、どうするか決めないといけないと考えるのですが、ずっと好きで長く一緒にいた主人と、辛い時に支えてくれた彼と選ぶことができないです。

このままずっと主人と継続するか、離婚して彼と一緒になるか、どちらをとっても後悔するかもしれないと思うと、どうしたらいいのかわからないです。

結局は自分が1番大事で、いいとこ取りしていることはわかっています。そんな私が幸せになる資格はないと思ってます。

1番いい方法はどちらともお別れして1人になることではと考えているのですが、これは逃げていることになるのでしょうか。

また、主人を傷つけたくなく不倫したことを伏せて離婚を伝えることは卑怯でしょうか。

自分がどうすべきか、自分の気持ちもわからず、何が最善な方法かがわかりません。

自分勝手で自己中心的な考えだとわかっていますが、何か助言いただきたいです。

2023年11月27日 22:26

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

およそ人の「劇的な変化」も一時的なものと知り賢く自立を。

( *´👄`)✨🌊
人は毎日変わっています。無常ですから。
世も毎日芸能人のブログ以上のスピードで自動更新されています。無常ゆえに。
あなたの心、思う事も毎回新たに書き換えられています。同じことを考えたとしても前回とは違う思い方をしています。無常ゆへに…。日々是フレッシュ、毎日が回転ずしのようなものです。🍣(回転ずしかい)
私の枕元ではさっきから巨大ニワトリが100デシベル越えの奇声で朝から鳴いて(ウルセー)います。🐔じつに近所迷惑な爆音鶏で。それでもその声の一声一声が異なるものです。その声を聴くたびに私も反応をしたりしなかったり変わる。
何をお伝えしたいのか。
動いているその心はどこか?
旦那の態度が変わりゃァあなたの評価も変わる。
旦那が冷たいで他の男性に心奪われ💓その前は旦那に心奪われて結婚。フタを開けてみりゃァ冷たい、優しくされない。
今度はその相手と不倫関係にでもなれば、お互い旦那にナイショでコソコソ美味しいどころ取りの関係に。お互い傷の舐めあい自己肯定罪悪感を隠す心理から綺麗ごとの愛ワードを言い合う。それは愛ではなく逃避&代償&ウソ。世の不倫がきれいごとを言うのはそういう隠蔽心理からです。覚醒を。
順序はきちんとしっかりと。
賢明なる独り=自由になってから、彼と再スタートすればいいと思うかもしれませんが、離婚してみると自由になれるから今度はその彼氏の方にもさほど魅力を感じなくなる可能性もある。無常&縁ですから。関わりによって人の心も変化するものなのです。
つまり、いざ離婚してみると、その男性も🐆豹変する可能性も🐀→🐘「大」です。男、オスというショーモナ生物の本質をよーく見抜いて飼いならす。これ大人の女性の基本的教養ナリ。現時点で「家庭的」でない男なんぞ今後もオスでしかありません。女性の尊厳を心底を守る教養を持っていないオスは単に刺激が好きでそういうことをしているだけで家庭的でない。本当に誠意のある人であれば待っていてくれるでしょうが実は他に女がいるカモ🦆しれません💀誰にでも同じことを言っているだけのかまってちゃんナンパ師かもしれません👦そもそも婚姻関係にある女性に甘い言葉を囁いちゃう時点でどうなの?そんな人の言葉をやさしさと勘違いしちゃって騙されて都合よく利用されるだけの女性は多いのが世の現実。厳しいですが貴女の真の自立の為です。

2023年11月28日 6:22
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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