目標を不正に手に入れようとしている友人
数年間のあいだ、同じ目標を目指している近い友人がいます。彼がいま、正しくない方法でその目標を手に入れようとしています。
犯罪ではないです。でも決して道徳的に正しくない、人には言えない方法で手に入れても目標として同じように人生で意味を持つのでしょうか。
今は不正に対する嫌悪感しかなく、羨ましいとは思いません。人生で大きな意味を持つ目標なので、それが不正によるものであるのは、自分であれば嫌だからです。
目標に向けて努力するときに心を乱したくないのですぐにでも距離を置くつもりですが、日常的に近い位置にいるため、結果は聞こえてきます。
だから友人がそれを手に入れた時に、憎しみを覚えてしまいそうです。
僕はその時、どのような心持ちでいればよいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分の道を信じて。誇りを。 きっと将来に、大差が出ますよ。
不正で手に入れても、後の力に 必ず差が出てきますよ。
だって、あなたの頑張りは、全て力になっていくけれど、友人は ただ手にしているだけ。そこに努力という頑張りが全くないからです。何の身にもならない。
そして、周りもいつか見抜いていきます。力のある人には、中身が見えるのですから。
今だけを見ず、先をしっかり見据えて。
自分の道を信じて。誇りを。
きっと将来に、大差が出ますよ。
弱肉強食が自然界
自然界では、他の生き物のエサを横取りしたり、だまし討ちのようなやり方で獲物を襲ったり、力づくで縄張りを奪ったりします。
目標を得る方法も人それぞれ。
犯罪行為でないなら放っておいても良いです。
ただ、ネット社会の今は犯罪行為じゃなくてもバッシングされるリスクはあります。
結局は自己責任で、本人が判断するしかありません。
また、私達が親からもらうものは様々です。
親から頭の良さを遺伝でもらう人もいれば、塾に通えるお金を親からもらう人もいます。
たとえば、前者と後者が結果的に同じような成績で同じ会社に就職できる場合、一方が他方を羨んだり嫉んだりしても仕方ないのです。
弱肉強食が基本なので、結果的に目標を達成できれば勝者。
恨みっこなしに人生のゲームを楽しみ、切磋琢磨しましょう。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
勝負の世界、、、そうですね。
そうではありますが、、、僕はこれまで通り正々堂々とライバルとして切磋琢磨したかったです。
その上で彼だけが成功した場合は「よかったね」と言うつもりの心構えをしていました。
が、今回の件でもうそのような気持ちにはなれません。
いまの僕では、なかなか達観できないと思うので、彼とは距離を置きなるべく離れていようと思います。
結果はもっと先に見えるのでしょうか。
今は闇の中ですが、なんとか穏やかに頑張りたいと思います。