「どうせ私なんか」と卑下されるのがつらい
初めて相談させていただきます。
30代の女です。
人から「どうせ私なんか」と卑下されるのがつらいです。
どのような心構えでいたら今よりは楽になれるでしょうか。
私は嫉妬の対象になるような優れた人間ではありませんが、それでも「私はあなたみたいになれないから」と卑下されてしまうこともあります。
自慢話はするのも聞くのも苦手なので、地味に生活していますが、卑下する気持ちを受け止めるのもつらく思えてしまいます。
そもそも「どうせ私なんか」と卑下する人にも沢山の長所があり、卑下する必要などないくらいの人たちです。
そのこともお伝えして、相手を褒めるようにしていますが、なかなか信じていただけません。
彼女たちの苦しみに寄り添った上で、自分自身も楽になれる方法があるでしょうか。
まとまりのない文章になってしまい、申し訳ありません。
なにか簡単なヒントだけでも頂戴出来ましたら幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そんな言葉は聞き流したらよいです
自分はしょうもない人間で、というのは仏教では卑下慢といいます。意外に思われるかもしれませんが、それって一種の慢心なんです。慢心なんですからまともに悩まず、右から左に聞き流すのが一番良いです。黙って聞いてあげることがいちばん相手のためになることもありますので。
もちろん重要な助言というものはあるでしょうから、いろいろよく考えたうえで、これというタイミングで、これという表現で、ドンピシャ相手の心に響くように話せばときとして他者の救いになります。
お釈迦さまは人を動かす言葉を適切に用いておられます。「キサ・ゴ―タミー」という言葉で検索してみてください。
質問者からのお礼
ご回答下さり本当にありがとうございます。
「卑下慢」「キサ・ゴ―タミー」について初めて知り、早速調べています。
他者の卑下慢についてもですが、自分自身にも当てはまる慢心もあるなあ、と恥ずかしく思う箇所もありました。
頂いたお言葉をもとに、慢心の観点からも物事を考えられるようになりたいです。
お忙しいなか、こうして耳を傾けて下さり、お話を聞かせてくださり、本当にありがとうございました。