醜くなった顔で過ごす日々
何度も質問してすみません。どうしようもなくなりまた質問しました。
左目の目尻からまぶたをある事故(アルコール依存の父親からの理不尽な暴力と、傷跡治療失敗)から損傷し、別人の顔になりました。損傷のない右顔は彫りが深く気に入っていましたが、左顔は見て身震いします。人工的な顔でもあります。しかし、これは自分の新しい顔と言い聞かせ、認知を見直そうとしますが、まだまだ修行が足りません。なんとか、仕事やプライベートの時間を気にせずに過ごしたいのですが、...生き地獄のようです。なぜ自分が...。なぜ一番気に入っていた部分が...。人に親切にしてきたのに...。経済的に恵まれいなく、全て自分のお金で学歴を身につけなるなど努力してきたのに...。自殺をすると周りを悲しませるのでできません。今は生きる屍のよう。なぜ...。仕事で評価され、プライベートでも一人ですが、静かながら楽しく生きていました。しかし、なぜ...。
絶望感が数ヶ月、定期的に訪れます。よく耐えました。
自分いじめをやめたいが、この違う醜く、別人の顔で一刻一刻をどう過ごすか。悟り(涅槃)でしか救われないでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
意味と価値を見出すのは自分ですよ
質問読ませていただきました。
大切にされていたものが失われて、絶望にくれておられるのですね。
心中お察しいたします。
さて、仏教的には、出来事というのは何か意味があるわけではありません。過去世の業(原因)が、現世の縁と交わって、現象として顕れるのです。世の中はあるがままにある、ただそれだけなのです。
しかし、我々は出来事に意味づけをします。どのように意味づけするかで、自分の人生というのは大きく変わります。そして、その人生を歩む過程で、自分の価値を自分で見出しているのです。
質問者様は、悲しい出来事に遭われました。しかしその出来事には、いかようにも意味づけすることが可能です。
全てを失ってしまったと自分を苦しめる意味づけをするのか、自分の人生を今までとは異なる角度で見つめてさらに豊かにする機会という意味づけをするのか、それを決めるのはあなた自身です。
その意味づけによって、これからの人生をどのように生きるのかに大きな影響を与えるでしょう。叶うなら、前向きに明るく、幸せへと続く道を歩けるような意味づけをしていただきたいと思います。
それができれば、周りの方がおっしゃる「あなたの価値は顔だけではない」という意味も徐々に分かってくるのではないでしょうか。新たな自分の価値に気づくことで、確固たる「自分」を築くことが出来るんです。
頑張ってこられた人生、まだまだ諦めるのは早いですよ。今までのことが全て失われてしまったわけではありません。
今の自分が幸せになるために、しっかり「意味」と「価値」を見出してみてくださいね。
何か少しでも参考にしてみて下さい。
必要ならばプロフィールを参照いただき、メールにてご連絡くださいね。
質問者からのお礼
藤川様
ご回答ありがとうございます。なんとかよい意味づけをしたいです。
以前から人に感謝したり勤勉に働いたりと心がけてきたつもりした...。以前は自分の顔を見て安心感を得ていましたが、今は執着や絶望でしかないです。右顔はそのままなので比べてしまいます。また、顔を褒められたことが多く自分でもいい気になっていましたので、絶望感が激しいです。
意味づけを試みました。生きていることに感謝、右顔が残っていることに感謝、が今の考えです。
ただ、まだ思考の転換はできておらず、かなり苦しく、希死念慮があります。精神科で薬をもらっでいますが、顔は元に戻らないため、考え方を変えるしか生き残る術はないとおもいます。
ぜひメールさせてください。本日させていただきます。よろしくお願い申し上げます。